空港日誌
「旧羽田空港」
留守電の声「もしもし、黒部です。留守にしておりますので、ピーっとなってからご用件をお話ください」
(ピーという発振音。)
電話の声(玲子)「もしもし、アニキ? 玲子。まだ仕事してんのォ! それとも、デートかな? やーらし! ・・・あのね、いま、福岡空港にいるんだ。これから飛行機で東京に行くから、えーとね、21時に着くっていうからさ、迎えにきてね。じゃよろしく、バイバーイ。(途切れる。プープーという音)」
機械の声「午後、7時、1分です」
孝雄「な、な、何だって。21時? なんてこった、時間がない!」
孝雄N「残業が終わり、やっと家に戻れたと思ったのも束の間、俺は実家の妹からの突然の電話に再び電車に乗るハメになった。妹の玲子は、4年前に博多から東京の大学に進学して、俺のアパートから学校に通い続けていたが、もともと病弱だった体を悪くしたために休学して帰郷、実家で療養生活を送っていた。
でも大変だ、もう8時半を回っている。今からじゃギリギリ間に合うかどうかじゃないか。まったく玲子の奴、いきなり東京に来るなんて、いったい何を考えてるんだ。そりゃあ、2年前までは一緒に暮らしていたし、夏になったら遊びに来いとは言っておいたけれどな。でも待てよ・・・あいつ確か、また体調崩して入院してたはずじゃなかったかな? もう大丈夫なのか、それともまさか・・・からかわれているんじゃなかろうな・・・」
(夜の羽田空港、案内カウンター。雑踏。)
孝雄「すみません。あのね、午後9時頃福岡から来る飛行機って・・・」
案内嬢「はい、福岡発のJAS310便ですね。定刻どおり21時ちょうどに到着いたしました」
孝雄「それでですね、乗客の中に黒部玲子という名前の女性、いますか? 22歳、大学生・・・あ、病気療養で休学中なんだけど」
案内嬢「あの、そういう事はこちらでは・・・」
孝雄「あ、けして怪しいものではありませんから。私は黒部孝雄、玲子の兄です」
案内嬢「(苦笑)申し訳ございませんが、お客さまののお名前まではこちらではわかりかねます。310便はすでに到着いたしてますので、あちらの到着ロビーでお待ち下さい」
孝雄「・・・あ。そ、そうですよね。どうもありがと、あっちですね。失礼しま・・・」
玲子「(いきなり)アニキ! こっち、こっち。・・・もう、遅刻だよチコク」
孝雄「ん・・・あーっ、玲子! 何が”チコクだよ”だ、こらっ!」
玲子「なによォ、久しぶりの兄妹再会だっていうのに、いきなり怒ることないじゃない。もっと他に言うべき言葉、あるんじゃないの?」
孝雄「いきなりはどっちだ。こんバカチンが・・・出発直前に電話してきおって何考えてんだ。留守電聞いて、慌ててやってきたんだからな」
玲子「ま、いいからいーから。本当はね、荻窪のアパートまで黙って押し掛けようって思ってたんだ。だけど、やっぱりマズい・・・よね。留守だったり・・・女、連れ込んでたりしてたらね。フタマタって思われるじゃない。ほら、あたしとアニキって兄妹なのに似てないし・・・それに、あたしって可愛いから! 嫉妬されちゃうもんね」
孝雄「バカばっかり言ってんじゃないよ。だいたい、父ちゃん達知っとるんか、おまえが東京に来るってこと。まさか、黙って出てきたんじゃないだろうな」
玲子「え、・・・大丈夫よ、大丈夫。ちゃんと言ってきたから」
孝雄「それにおまえ、また病状が悪化して、入院してたんだろ? もう退院したのか?」
玲子「・・・だけど、羽田空港も新しくなっちゃったよねぇ。こんなにゴーカになっていいのかしら。あたし、2年ぶりに来たけどびっくりしちゃった。ここって去年建てかえたばっかりだよね、アニキ」
孝雄「こら、ハナシをそらすんじゃない! カラダのほう、平気なのか?」
玲子「あ・・・うんうん、それも大丈夫」
孝雄「本当だろうな?」
玲子「本当。ほんとにホント ・・・どうせ、すぐ帰るから」
孝雄「・・・まあいい、うちに帰ってから博多に電話してみりゃわかることだ。ホラ行こうぜ。カバン、持ってやるよ」
玲子「あ、これはいい! 軽いから」
孝雄「何だよ、大事そうに抱えちゃって。なんか大切な物でも入ってんのか?」
玲子「うん、衣装ね。ジュリアナの」
孝雄「ジュリアナぁ?」
玲子「知らないの。ボディコンに扇子、ディスコのコスチュームよ。これ着てね、ジュリアナのお立ち台に乗って踊るんよ。あたし、今度東京にきたらいっぺんやってみようと思ってたんだから。パーっと派手に、ね」
孝雄「・・・あのね、玲子ちゃん。ジュリアナはとっくにお立ち台をやめてんの。知らなかった?」
玲子「え、ほんとに?」
孝雄「おまえが東京離れてた2年間に、世の中はどんどん変わっていったんだよ。マゴマゴしてると、時代に取り残されるぜ」
玲子「そんなぁー、せっかく楽しみにしてたのに・・・」
孝雄「残念でした! カバン、貸せよ。持ってやるから」
玲子「・・・やっぱりいい。そのかわり、こっちのお土産の方あげる。ほらほら、からし明太。好物でしょ」
孝雄「あ、サンキュー! 食べたかったんだ」
玲子「アニキ、しばらく本場の食べてないでしょ? 帰ってきてないんだから」
孝雄「ん・・・あ、まあな」
玲子「ダメじゃない! 父ちゃんも母ちゃんも会いたがってたよ。あたしの見舞いにだって、全然来なかったじゃないの」
孝雄「あ・・・ああ、すまん。仕事がひと段落着いたら、今度こそ帰るから」
玲子「・・・仕事、そんなに大変なの?」
孝雄「ま、不況だから・・・って、おまえが心配することないよ」
玲子「アニキ、無理しちゃいけないよ。体こわしちゃったら、何にもならないんだからね」
孝雄「おまえに言われたくないよ! ・・・そっちこそ、早く完治させて東京に戻ってこい。待ってんだからな」
玲子「・・・ありがと」
孝雄「やっぱな、一人で家賃払うのも、ラクじゃないしな」
玲子「なによ、それーっ!・・・ねぇ、アニキ」
孝雄「ん、何だ」
玲子「前のさ、建てかえる前の空港の建物、どうしちゃったのかな? 壊した?」
孝雄「いや、確か・・・中国行きだかの国際線が入ってるはずだったけどな。モノレールの羽田駅も残ってるし」
玲子「帰る前にさ、ちょっと、行ってみない?」
孝雄「え?」
(羽田駅前。飛行機のエンジン音、車の走る音。)
孝雄「あれ、地上に出ちゃったよ・・・まいったなあ。いつの間にか、駅の場所まで変わってたんだな。昔は駅を出たら、すぐターミナルだったのに。全然しらなかった・・・」
玲子「やーい、時代に取り残されてるぅー!」
孝雄「うるさいな!・・・どうする? ターミナルまでバスが出てるみたいだけど、来るまで待つ?」
玲子「・・・やっぱり、いいや。もう、時間ないし」
孝雄「じゃ、帰るぜ」
(静寂の地下通路、二人の足音。)
孝雄「さすが夜だと、ホームもガランとしてんな。次のモノレールまで・・・5分ちょっとか。ううっ、夏だっていうのに肌寒いな。玲子、平気?」
玲子「ううん、大丈夫。・・・ねえアニキ、覚えてる。2年前のさ」
孝雄「2年前? おまえが博多に帰ったときの事か」
玲子「うん。病気が重くなってきて、休学して東京離れる日。アニキとか、友達とかいっぱい見送りに来てくれて、ロビーにあったカレースタンドで、みんなしてカレー食べたでしょ。あのとき」
孝雄「ああ、あの時な。搭乗手続き済ませたからって安心しちゃって、出発時間の事忘れてワイワイしてたら、”搭乗予定の黒部玲子様、搭乗口にお急ぎ下さい”なんて、放送で呼び出されたんだよな」
玲子「そう! もう、みんな大慌てにあわてちゃって!」
孝雄「俺なんか、カレー半分も残したまんま飛び出してよ。見送り終わって戻ってきたら、すっかり片付けられてんの! もったいなかったなあ・・・」
玲子「あのお店、まだやってるのかな」
孝雄「さあ。客がみんな、新しいビルに移ったからな」
玲子「・・・楽しかった。あたし、あの頃が一生の内でイチバン楽しかった。・・・アニキと一緒に荻窪にいた頃が、ほんと楽しかった。ありがとね、アニキ」
孝雄「え、なに? ・・・どうしたんだよ、いきなり」
玲子「アニキ、頑張ってね・・・じゃあたし、もういかなきゃ。バイバーイ!」
孝雄「おい玲子、いったいなにが・・・うわッ!」
(モノレールの走行音。途中からかぶさるようにして孝雄のNが入る。)
孝雄N「突然、モノレールが入って来た。そのライトに目が眩み、俺は思わず目をつむった。・・・目を開けた時、ホームに玲子の姿は、跡形もなくなっていた」
孝雄「あれ、玲子? おい、悪ふざけはやめろ。・・・どこ行ったんだ、玲子!」
駅員「・・・もしもしお客さん、どうかされましたか?」
孝雄「あ、妹を捜してるんです。ついいままで、ここにいたんですが」
駅員「お客さん、冗談は困りますよ。先ほどからお見受けしてましたが、ここへ来たときからずっと、お一人じゃなかったですか・・・」
(再びモノレールの走る音。)
(孝雄のアパート。ドアの開閉音。)
孝雄「帰ってるか、玲子ォ? ・・・まだか。どこ行きやがったんだ、人を置き去りにして・・・。でもあの駅員、俺がずっと一人だったなんて、変なこと言ってたな。そんな馬鹿なことが・・・おや、留守電に何か入ってるぞ」
(留守番電話の操作音。)
留守電の声「もしもし、黒部です。留守にしておりますので、ピーっとなってからご用件をお話ください」
(ピーという発振音。)
電話の声(孝雄の父)「・・・おれだ。玲子な、19時1分・・・病院でな・・・。すぐ、帰ってこい・・・」
(音楽、フェードイン。)
(fin)
(94/06/20_R.YASUOKA)