空港日誌
「大島空港」

 

  (大島空港、受付カウンター。雑踏、アナウンス。)

  雅彦N「・・・天候、調査中か・・・。ま、飛行機にはつきものだけどね。

      時計の針がまた進んだが、表示板の文字はあいかわらず変化しなかった。ちょうど前線が通過中ということで、羽田行きの便が出発するのか、それとも欠航するのか、航空会社でもまだ判断がつかないのだろう。おれはカウンターの前に並んだまま、じっと案内表示を見つめていた。欠航が決まったら、次の便のキャンセル待ちをしなければならない。今夜の内に東京に到着できなかったら、同窓会に間に合わないからな。・・・大学の同窓会通知を受け取ったのが先月の事だった。卒業して、地元大島にかえって、そのままそこの会社に就職して3年。東京に行くのは、本当に久しぶりだ。みんな、どうしてんだろうな・・・」

  淑子 「・・・だって、オモテはすっかり晴れ上がってるじゃあないの。こんないい天気で飛行機を飛ばせられないなんて、馬鹿にしちゃあいけませんよ・・・ねえ、おニィさん

  雅彦 「え・・・あ、何がですか?」

  雅彦N「突然、おれの前でカウンターと話していた老婆が振り返って、おれに相づちを求めてきた。ちょっと前から係の女性ともめていたようだったが、あまり話を聞いていなかったので、おれはわけもわからず聞き返した。しかしもうその時には、老婆はカウンターの女性に向き直っていた。・・・それにしてもこの婆さん、いっぱい荷物をもってるなあ・・・」

  受付嬢「ですから、悪いのは羽田の方の天候でして、今出発しても着陸できないおそれがございますので・・・」

  淑子 「着陸できないって、降りられないっていうんですか? 飛び上がったきり? ひえぇ・・・、それじゃあ、燃料がなくなったら、どうするんですか?」

  受付嬢「・・・ですから、そうなったら出発空港に戻ってまいりますので・・・」

  淑子 「そうなったらって、燃料がなくなったらかい? ・・・燃料がなかったら飛行機は飛ばないでしょう。その位は知ってるっていうのに、馬鹿にしないでちょうだいよ・・・」

  受付嬢「だから、そういうことじゃなくてですね(電話の呼び出し音)ちょっと失礼します(受話器を取る、以後電話のやりとり)はい、カウンターです。・・・20分遅れ・・・はい、わかりました。手続きを始めます。(受話器を置く)大変お待たせいたしました。羽田行き016便、定刻より遅れまして16時25分に出発いたしますので、ただ今より手続きを承ります」

  淑子 「なんだい、飛ぶんじゃないの。もったいぶっちゃってさ・・・はい、航空券ね」

  受付嬢「(手続きを始める。淑子の返事をまじえて以下のやり取り)・・・ミナミ、トシコ様。羽田行き、お一人様ですね。・・・おタバコはお吸いに・・・禁煙席・・・それではお荷物を、お預かりいたします」

  淑子 「預かる? ・・・いいよいいよ! みんな持ってくんだから」

  受付嬢「ですがお客様、機内へ持ち込める手荷物は・・・」

  淑子 「だいじょうぶ! いいから早くチケット返してちょうだい、乗り遅れたら大変だからね・・・ああ、どうも。それじゃごめんなさい、よっこらしょと・・・」

  雅彦N「そういうと老婆は、脇に置いていた荷物を全部抱えたまま、搭乗口にと歩いて行った。ほんとに、あれ全部持って飛行機に乗るのかね・・・まあ、おれには関係のないことだし・・・おっと、今度はおれの番だ!」

  受付嬢「次の方どうぞ。・・・ホンゴウ、マサヒコ様・・・お一人・・・(フェードアウト)」

 

 

  (YS11の機上。)

  雅彦 「・・・ええと。8B、8B・・・あ、新聞ください・・・。ここだな・・・あれ? この荷物・・・」

  雅彦N「狭いYSの機内に乗り込んで、自分の席を見つけたおれはいささか驚いた。おれの隣の席に、さっきの老婆がちょこんと座っていたのだ。それだけならいいが、荷物の紙袋やらカバンやらを全部、おれの席の上に置いていたのだった!」

  雅彦 「コホ・・・あの、お婆ちゃん」

  淑子 「・・・え、何か用かい?」

  雅彦 「ここ、私の席なんですけれど・・・」

  淑子 「えっ? すいませんけどね、もう少し大きい声で言ってくれませんかね。ちょっと耳が遠いもんで」

  雅彦 「ここね、私の席なの!

  淑子 「あらま・・・、そうかい! すいませんねぇ、おニィさん。・・・じゃあちょっとこの荷物、上にのっけてくれませんか」

  雅彦 「あ・・・駄目なんです、この飛行機はYSですから・・・」

  淑子 「ダメだって? けちだねぇ・・・近ごろの若い人は! いいよ、もう頼まないから。なんだい・・・すいませんシチワーデスさん、シチワーデスさん。この荷物をですね・・・」

  シチ・・・スチュワーデス「お客様、申し訳ございませんが、当機では棚の上に荷物を置けないことになっておりますので、前の座席の下においてください」

  淑子 「え・・・ダメなの? ケチケチしなくったっていいじゃない」

  スチュワーデス「申し訳ございません、落下のおそれがございますので・・・」

  淑子 「いいよもう! まったくぅ、こんなにいっぱいあるのに、椅子の下だって! 置けるわけなんか・・・よっこらしょと・・・あらら、やっぱり入りきらないよ。困ったもんだね・・・」

  雅彦 「あの・・・お婆ちゃん?」

  淑子 「ん、何だい?」

  雅彦 「よかったら・・・こっちにも、置いていいですよ」

  淑子 「そうかい? ありがとう。じゃこれとコレと・・・すいませんねぇ。さっきはひどいこといっちゃって・・・だけどあんた、荷物はどうしたの? 手ぶらじゃない」

  雅彦 「ほとんど、カウンターで預けてきましたから」

  淑子 「カウンターに預けるって・・・ああ、さっきのおネェちゃんに? ・・・空港に、置いてきちゃったのかい!?」

  雅彦 「いやいや、置いてきたんじゃなくて、一緒に運ぶんです、大丈夫ですよ。羽田空港で受け取れますから。・・・ほら、これが引き換え証」

  淑子 「あ、そうだったんですか! なにしろ私、飛行機乗るのはこれが初めてでしてね。・・・本当は高速艇で行きたかったんだけど、孫がどうせ来るならいっぺん乗ってみるといいって、チケット送ってきてくれましてね・・・でもまあ、いろいろとメンドくさいもんだねぇ。でもまぁ、せっかく孫が遊びに来いなんて言ってくれたんだしね。・・・ところでおニィちゃん、お仕事かい? それとも、学生さん?」

  雅彦 「いえ、同窓会でしてね。大学の」

  淑子 「同窓会! そうかいそうかい・・・そりゃあ懐かしいよねぇ。私にも覚えがあるからね、女学校のさぁ・・・最後にあったのが、4年前だったかね? それとも・・・3年前? やだね、トシ取るともの忘れがひどくなってきて。どっちでもいいわね、島ァ出るのはそれ以来なもんでしてね。いえいえ孫がね、東京の学校に通ってるんだけど。・・・身内の私が褒めるのもなんだけど、とっても気持の優しい子でね。遊びに来いって言ってくれたんですよ。嬉しいじゃないの・・・」

  雅彦 「ふうん・・・。いいお孫さん、なんでしょうね」

  淑子 「やっぱりそう思うかい、おニィちゃん! ・・・おニィちゃんっていうのも悪いわね。お名前、なんていうの?」

  雅彦 「本郷といいます。本郷雅彦」

  淑子 「マサヒコ? ありゃありゃ、偶然だね。死んだお爺さんとおんなじ名前! ・・・そういえば、若い頃のお爺さんにどことなく似てるしねぇ・・・じゃ、これからあんたの事、マサヒコさんって呼ぶからね。私の事は、淑子、って呼んどくれ。まあまあ、何だか新婚さんみたいだねぇ。照れちゃうよ、わたし・・・」

  雅彦N「・・・なんなんだ、この婆さんは。ひととおり喋り終えると一人で真っ赤になって、袖で顔を隠してしまった。おれは適当に返事をすると新聞に目を落とした。・・・そうこうするうちにエンジンが回り始めた。予定より遅れての離陸だが、何とか羽田には着けそうだ」

  機内アナウンス「(緊急避難の説明始まる)ただ今より、緊急時についての説明を行います。皆様、お近くのスチュワーデスをご覧下さい・・・」

  淑子 「ねえねえ、マサヒコさん。あの人達、なにしてんだい? ・・・何か妙な、黄色いチャンチャンコみたいなのを着て」

  雅彦 「(小声で)あれですか? 非常事態になったときのための、説明です」

  淑子 「・・・やっぱり、おっこちたりするもんなのかい? しょっちゅう」

  雅彦 「大丈夫ですよ、大丈夫。万が一のためって、そういうことですから」

  淑子 「それじゃあの、チャンチャンコは?」

  雅彦 「チャンチャンコ・・・救命胴衣です。浮袋みたいなものでして・・・座席の下にありますよ」

  淑子 「へぇえ、座席の下にね・・・ホントだ、あったあった。どっこいしょ・・・落ちてからじゃ間に合わないかもしれないからね、いまのうちに着とこうとね・・・万が一ってこともあるからね・・・」

  雅彦 「ん・・・? ちょっと! なにしてるんですか、お婆ちゃん」

  淑子 「やだねえ、マサヒコさん。私の事は淑子ってよんどくれって、さっき言ったばかりじゃない・・・そうだ、マサヒコさんも着といたほうがいいよ、救命胴衣。取ってあげるから、足どけてちょうだい」

  雅彦 「あ、すいません・・・じゃなくて! おバァ・・・淑子さん。これは普段はですね・・・」

  淑子 「え、何か言ったかい? 年取ると耳が遠くなってきてね・・・ほら足どいて・・・さあ、マサヒコさんの分」

  雅彦 「(大きな声で)だから淑子さん・・・! あ、引っぱらないで・・・わっ! ふくらんじまった・・・」

  スチュワーデス「(上品に、しかしピシャリと)お客様、他のお客様のご迷惑になりますので、機内ではお静かに願います」

  雅彦 「あ・・・。・・・どうも、申し訳、ないです・・・

  スチュワーデス「・・・それから平常時には、救命胴衣はお取り出しにならないで下さい。必要な際には、わたくしどもが案内いたします」

  雅彦 「そ、そうですよ・・・ね。おバァ・・・淑子さん、・・・そういうわけですから・・・」

  淑子 「なんだ、そうなんだ。それなら片付けます、しまいますけどね・・・怒られちゃったら、仕方がないもんね・・・本当に、案内してくれるんだろうね」

  スチュワーデス「ええ、どうぞご安心下さい。・・・間もなく離陸いたしますので、シートベルトをしっかりお締め願います」

  淑子 「はいはい・・・そう言ってくれるんならいいけどね。じゃあね、また椅子の下に・・・ほら、マサヒコさんのも・・・あら。マサヒコ、さん? ・・・どうしちゃったんだい、そんなにグッタリしちゃって? ・・・気分でも悪いのかい? 待ってなさい、今シチワーデスさんに来てもらうからね。・・・ちょっと、シチワーデスさん、すいません!

  雅彦 「あぁーっ、大丈夫です! 大丈夫。何だか、疲れちゃって・・・」

  淑子 「そうかい? もしも気分が悪くなったら、いつでも言うんだよ。・・・あ、動きだしたわ。そうだ! カメラ持ってるから、一枚撮ってちょうだいな。・・・これこれ、後ろの景色と一緒にね・・・押すだけだから・・・はい、ピース! ・・・(フェードアウト)」

  (音楽、フェードイン。)

 

(fin)

(94/06/26_R.YASUOKA)