からくりサーカスオリジナルストーリー

「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜

終章〜雨〜

 

 

 それから、

 阿紫花と羽佐間の二人は無言のままに、広い庭を車へと向かっていた。

 差し出された傘を拒み、雨の降るままに体を濡らせて、阿紫花は進む。

 その阿紫花の背を見ながら、数歩遅れて羽佐間は歩いていた。

 建物を出てから、阿紫花は、一言も口をきかない。

(兄貴……)

 言いかけて、羽佐間はまたも言葉を呑んだ。

 何と……いったい何と、声をかければいいのだ。

 あんなハナシ、聞くんじゃなかった
……幾度目かの後悔の念がわき起こる。

 いっそ……何も聞かなかったように振る舞うべきなのか……。

 いや、

 そんな態度で、今の気まずい沈黙がぬぐい去れるとは思わない。

 無言のままで羽佐間は、
コート姿阿紫花背中を見つめながら歩いていた。

 

 

 彼は振り返った。

 善治が言った庭園は、裏庭の築山は、建物の陰に隠れて見ることができなかった。

 

 

「ねえ、兄貴!」

 ついに意を決し、羽佐間は、前の阿紫花に呼びかけた。

 いつもより明るく、より野卑な口調で、言葉を続ける。

「へっへっへ……善治に訊きやしたぜ、ゆかりさんのコト!
 すっげーキレイだったんですって?」

 阿紫花の歩みが、止まった。

しかも、年上お姉サマでしょ! 
いいよなァ、兄貴……
あ〜あ、あっしも一度そんな美人手取足取してもらい……」

 振り返った阿紫花を見て、
羽佐間は喋るのをやめた。

 そして……歯を食いしばった。

 阿紫花の右手が見えなくなったかと思うと、
その拳が
羽佐間の顎に命中した。

 その勢いにバランスを崩すと、今度は倒れた体に蹴りが襲いかかった。

「うぐぅっ……!」鳩尾の打撃に羽佐間がうめく。

「いいか羽佐間ぁ!」
容赦なく羽佐間を痛めつけながら、阿紫花が口を開いた。
「あたしに……あたしの前で、二度とその名を口にするんじゃねえ!」

「あっ……兄貴ぃ。すまねえ……悪かったよォ!」

 悲痛な声で謝る羽佐間の体を起こし
阿紫花は、最後に、
その腹に拳を打ちつけた。

 そして、
身をゆがめる羽佐間の肩を抱きかかえるように引き寄せると、その耳元に囁いた。
「……二度と、ですぜ」

「へ……へい。すいやせん、兄貴……」
顔を泥と血で汚した羽佐間が、か細い声で謝った。
「許してくれよぅ……もう、二度と言わねえから……」

「けっ」

 その、羽佐間の体が自力で立てるようになるのを確かめて、阿紫花は背を向けた。

 ひるがえったコートの表面を、いくつもの雨滴が流れ落ちていく。

 

「……おめえは、おめえはな……
くだらねえ気を遣うこたぁねえんですよ」

 

「へ……へぇ……」
痛む腹を押さえ、羽佐間は、阿紫花の言葉にうなづいた。
「すいません。兄貴……」

 

 

 

 足を進めかけてふと、阿紫花は、羽佐間を返り見ようと立ち止まる。

(振り返るには遠すぎる)

 不意に、心に浮かんだ言葉を、彼は飲み込んだ。

 そして、阿紫花は……そのまま、前へ向かって歩き出した。

 

 

 

「ほら、何モタモタしてんですかい?
 病院坊や(女医とか看護婦も)あたし帰り待ってなさるでしょうが……」

「待つ?……ってったって、オレらはこっそり見張って……
ちょっ、待ってくだせえよ兄貴ぃ!

 すたすたと前を行く阿紫花を、あわてて羽佐間が追いかける。

「兄貴っ、せめて傘くらい……!」

「ばかっ、これが風流ってもんなんで……
『水もシタタるいい男』って言葉、知らねえんですか?」

「ホントに滴らせてどうすんですか! 
あとで洗濯する身にもなって……。
ねえ、兄貴ったら……
待ってくだせぇよ!

 

 

 

 

 灰色一面だった空が、ほんの少し、ほんの少し明るくなったようだ。

 

 

 

(fin)

 

(H12.7.1 R.YASUOKA
(Based on Comic,
('Le Cirque de Karakuri'
(by KAZUHIRO FUJITA)

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