12

 送電線を切られたらしい。電灯の明かりが次々に消されていく。

 いまや漁村には、数知れぬ半蛇の水妖が、禍々しい光を放ちながら跳梁していた。

 村人たちは、かろうじて小学校の体育館に逃げ込むことができた。

 その中央に人々を集めた凶羅は、独鈷を四本、宙に放りあげた。

 「とんで、さされぃ!」気合を発すると、村人を囲むように四隅に飛び、床板に突き刺さる。

 結界ができた。体育館に侵入してきた水妖たちも、この中にはいることはできぬ。

 「ババァ、ガキといろよ。絶対動くんじゃねえぞ」老婆にいいながら凶羅は、首にかけた長数珠を外し、拳に巻きはじめた。「やつら、ぶっ殺してやる」

 「坊さまァ・・・」老婆は、繁を抱きしめたまま動かない。

 「あ・・・わ・・・・」あたりを、そして凶羅を見て、駐在がへたりこんでいた。

 「てめえらも、動くなよ」苦々しげにつぶやくと、結界の外に向かって歩き始めた。

 その行く手を、ヒゲ源がふさいだ。

 「ぼ、坊さん・・・」くぐもった声で、凶羅に告げた。

 「こ、今度は・・・負げねぇから・・・」

 「フン」短く応えると、凶羅は、飛びだしていった。

 結界を出た凶羅に、水妖は牙をむいて襲いかかってきた。

 そのうち一体の頭を鷲掴みにして、そのまま握りつぶす。

 念を込めた回し蹴りを一旋させ、迫る数体の躰を足刀で叩き斬った。

 そして凶羅は、爪で襲いくる一体の腕を受け止めると、その腕を引きちぎり、心臓に突き立てた。

 わずかな時間のうちに、体育館に入り込んだ水妖たちは一掃されていた。

 だが、それもつかの間。窓を、扉を打ち破り、新手の水妖が長い胴体を引きずりながら押し寄せてくる。

 「くそったれ、ラチがあかねえ!」凶羅は拳を握りしめた。

 こいつらを束ねている親玉がいれば・・・そう思ってあたりをうかがう彼は、水妖たちの下半身、先が見えないほどに長くのびている胴体に目をやった。

 「もしや・・・あの先にっ」凶羅は、近づく水妖を叩き潰しながら、体育館を後にした。

 長い長い水妖の胴体をたどっていけば、その先に何かがいるのでは。

 いつしか凶羅は、村を駆けて海へと向かっていた。

 道を這う胴体を踏み越え、迫る水妖を引き裂き、その元を追った。

 「あれか・・・あれだなっ!」凶羅は、防波堤の先端に目をやった。

 防波堤の突端にある小さな灯台は、非常電源なのか、まだ光を放っている。

 その灯台に隠れるようにして、青白い光を放っている妖を、凶羅は見つけた。

 それは、巨大な烏賊だった。無数の触手をそこから、村中のあちこちに向けてのばしていた。その足の先が、人型をした水妖になっているのだった。

 「わはははっ、見つけたぞ!」凶羅は防波堤に駆け、烏賊の変化に襲いかかった。

 変化のそばにいた数十体の水妖が、いっせいに凶羅をむかえうった。

13

 体育館の中。結界のまわりを、おびただしい水妖が包囲している。

 村人たちの、糸のように張りつめた緊張が、限界に達しようとしていた。

 「どうして、おれたちがこんな目にあわなければならねえンだ」男が言い出した。

 「もとはといえば・・・禁を破った繁が舟霊様のお怒りに触れたんじゃ。繁を渡せば、お怒りもとけんじゃねえかァ」

 「ばっ、バカいうでねえ!」駐在が怒った。「おめェら、てめえが助かりたいからって、繁を犠牲にする気かァ・・・!」

 「けどよゥ、このままじゃ皆殺しにされるぞ」「そだそだ、シゲひとりで、皆の命が救われるんじゃ!」村人が次々に同調し、しだいに、繁と老婆を取り囲んでいった。

 抱き合ったままおびえる二人をかばうように、駐在が立ちふさがる。「待てッ、坊さんを信じるんだァ。きっと・・・」

 「あんなクソ坊主、信じられっか!」村の若者が叫ぶと、駐在を押しのけ、繁に飛びかかった。

 ・・・しかし、その若者は、張り手にはじきとばされ、昏倒した。

 静まり返る村人の前で、ヒゲ源は、低くつぶやいた。「オレ・・・坊さん・・・信じる」

 「・・・けど、どうすんだい」誰かが言った。

 それをきっかけに、ふたたび村人に不安が広がっていった。

 「まあ待て、坊さんを待つんだァ」「だども・・・坊さんだって、舟霊様に勝てるかどうかァ」「まさか坊主・・・おれたちを囮にして、自分だけ逃げたんじゃねえか!?」

 いかん! 駐在が気づいたときには、村人はパニックに陥っていた。

 女が悲鳴を上げながら、結界の外へ飛びだそうとした。

 ヒゲ源が抱きとめたが、暴れる女の足が、独鈷を蹴り倒した。

 結界が、破れた。

 じりっ。水妖が、境界をこえて村人に近づいてきた。

 恐慌をきたして村人は逃げ出したが、出口を阻まれた彼らは、壁際に追いつめられる。

 駐在がピストルを抜き、夢中で発砲する。しかし、水妖はひるみもしない。

 そのとき、

 「駐在さん、繁を、お願いしますなァ」

 近づきくる水妖の群れにむかって、老婆が、ゆっくりと歩き始めた。

 「・・・すまなかったなぁ。舟霊様のお怒りに触れちまって」老婆が水妖に話しかけた。

 「だども、繁はまだ子供だ。この、老い先短い年寄りの命で、勘弁してくれなァ」

 「婆さん、行くなァ!!」駐在が叫んだ。だが、老婆のゆっくりとした足どりは、止まることはなかった。

 引き止めたかったが、またしても、腰が抜けていた。

 突然の老婆の行動に、水妖はとまどっているようだ。彼女を取り囲んで、その動きをとめた。

 しかしそれは、獲物を目前にした獣が、舌なめずりしているさまにも見える。

 「すいませんなァ・・・ほんに、すまなかったなァ」

 つぶやきながら、小さな老婆は、幾多の半蛇の水妖の前に、立ちはだかっていた。

14

 繁には、老婆の背中を見ることしかできなかった。

 小さな祖母の背中が、どんどん離れていく。

 ”行っちゃ、やだよう・・・”

 それでも繁には、泣くことしかできなかった。

 

 繁は、老婆の背に、両親の背中を重ねていた。

 一年前の舟霊様の夜、禁をおかして出漁した両親の背中を。

 あのときも、離れていく両親に、何もできなかった。

 ”行っちゃ、やだよう・・・”

 それでも繁には、泣くことしかできなかった。

 

 ”うるせえな! ビービー泣いてんじゃねえ!”

 

 厳しい叱咤の言葉に、繁は全身を震わせた。

 ”泣いてるだけじゃどうにもならねえんだよ、甘ったれるな!”

 すさまじい形相の僧の顔が、老婆の背中に重なった。

 ”欲しいんだろ?・・・なら、取りに来い!”

 繁は、泣きながら、それでもまっすぐに、老婆の背中を見据えていた。

 

 「行っちゃ、やだよう!!」

 ヒゲ源は、そして、すべての村人は、自分の目を疑った。

 繁が駆けだして、水妖の前の老婆の体に抱きついたのだ。

 「しげ・・・」驚く老婆をかばい、繁が水妖の前に立ちふさがった。

 その顔は、涙と鼻水でくしゃくしゃになっている

 足が、いや、体中が恐怖で震えているのが、遠くからもわかった。

 しかし、それでも繁は、自分の祖母を守って、水妖と対峙していた。

 水妖が、自分をにらみつける少年に、一瞬ひるんだようにも見えた。

 だが、わずかの間躊躇したあとで、いっせいに二人に飛びかかった。

 老婆と、そして繁は、抱き合ったまま、目をつむった。

15

 「うおおおおおおおっ!!」

 雄叫びとともに、凶羅はまたひとつ、水妖の頭をうち砕いた。

 体液が飛び散り、ヒゲ源のシャツを、パンダの絵をまた染める。

 もはや、戦いの帰趨は決していた。

 凶羅に襲いかかるべき半蛇の触手は、そのほとんどが砕かれ、ねじ切られ、焼き尽くされていた。

 大烏賊の変化たる本体にさえ、凶羅の容赦ない攻撃がくわえられていた。

 いまや、変化は、必死に身をよじらせながら脱出を試みていた。

 凶羅をさえぎる最後の水妖が、いま、斃された。

 「おおっと、逃さねえぜ」

 地を這いずる変化の本体を、跳躍した凶羅の足が踏みつけにした。

 そのまま右腕を振りおろすと、烏賊の頭巾にあたる部分に、鈍い音を立ててめり込んだ。

 「わははははっ、陸に上がったのが、きさまの運の尽きよ!」

 凶羅は右腕をかき回し、変化の臓物をえぐり出した。

 声にならない悲痛な叫びが、港にこだまする。

 歯をむき出しにして笑う凶羅は、両腕を頭巾にかけ、真ん中から引きちぎった。

 もはや動きをとめ、発光もたえだえになった変化に、容赦ない殴打がくわえられる。

 そして、

 「くたばりやがれぇ!」変化に長数珠を巻きつけ、「怨!」と気合を込める。

 ありったけの念のエネルギーをくらった変化は、一瞬のうちに四散した。

 

 かたく目を閉じた繁は、水妖の爪が襲いくるのを予想していた。

 その頭に、温かい感触が伝わったので、とまどっていた。

 ぬくもりと、そして懐かしい匂いが彼を包む。

 おそるおそる、薄目をあける。

 わずかな間をおいて、その眼が大きく開かれた。

 彼が見たのは、牙を剥く水妖ではなく、ほのかな光を放って立つ二人の幽体だった。

 「とうちゃん・・・カアちゃん!」

 幽体は・・・いや、繁の両親は、彼の頭に手を置き、優しい瞳で繁を見守っていた。

 その唇がかすかに微笑んだかと思うと、二人の姿は、昇華するようにして消えていった。

 水妖は苦しみ、次々息絶えていく。

 「坊さんだ・・・坊さんがやってくれたんだァ!」駐在の叫び声で、人々は我に返った。

 脅威の消え失せた体育館の中で、村人たちは互いの無事を確かめあい、そして、抱き合ってよろこんだ。

 「ばあちゃ・・・」繁は、自分が守っていた祖母を振り返った。

 老婆は泣いていた。

 そして、繁の両目から流れる涙も、また止まらなかった。

 その両肩を、そっと、ヒゲ源が握りしめた。

 「シゲ・・・おめ、強えな」ヒゲ源のつぶやきに、繁は、泣きながら微笑んでいた。

エピローグ

 静けさの戻った漁村が、坂から一望できた。

 凶羅は、老婆の家を訪れていた。

 開け放されたままだった縁側から居間に入り込み、時たま照らす灯火を頼りに、おのれの法衣を探した。

 あった。凶羅は、今まで着ていたヒゲ源の服を脱ぎ、着替えはじめた。

 老婆による繕いは、まだ終わってはいない。が、ところどころの縫い跡が、法衣をいくばくかはマシに見せていた。

 手にしたジャージのポケットが、カサリ、と音を立てた。

 いぶかしげにポケットを探る。

 出てきたのは、セロハンにくるまれた数粒のチョコレートだった。

 先程の戦いで、汐にまみれ、熱に溶け、クシャクシャになっていた。

 凶羅は、それらを、床にほうり捨てた。

 灯台の明かりが、また、家を照らす。

 「ふん・・・ババァ」

 思い直して一粒だけ拾い、そっと、口に含む。

 口いっぱいに、甘味がひろがる。

 それから凶羅は、家を出て、ゆっくりと坂道を上っていった。

 灯火がまためぐり、去りゆく背中を照らし出した。

 何を思ったか、振り返る。

 一瞬だけ横顔が、闇の中に浮かび上がった。

 しかし、灯火が一巡りして、再びそこを照らしたとき。

 もう、凶羅は、どこにもいなかった。

 ただ、潮騒だけが響いていた。

 夜は、まだまだ深い。

(fin)

(H10.12.11_Y.YASUMITSU)