土佐の花嫁
それは、迎えの人々でごった返すロビーで一際目を引く一群だった。
留袖を上品に着こなした小柄な老婆を先頭に、今から授業参観にでも行くのだろうか、やたら小奇麗に身なりを整えた壮年の夫婦、ファッション雑誌からそのまま抜け出したような姉妹が、人待ち顔でもうすぐ到着する便を待っている。
二人の姉妹の手には、
「歓迎! 土佐の花嫁」と大きく筆書きされた大弾幕が掲げられていた。
土佐―高知空港と富山空港を結ぶ直通便はない。だから客は一旦羽田を経由しなくてはならない。乗り換えや待ち時間を含めると、国内とは言え結構な長旅である。
壮大に出迎えたくなる気持ちも分からなくはない。
問題は、その「花嫁」を迎えるべき当の花婿の姿が、どこにも見当たらないことだった。
飛行機は予定より少し早く到着した。
ロビーのあちこちで、挨拶や談笑が巻き起こる。
利用客の少ない地方空港だが、やはり出会いと別れの場には違いないようだ。
次々と客が去ってゆくなかで、あの一団はまだお目当ての花嫁に会えないでいた。
「遅いな。本当にこの便に間違いないのか?」
「うん。ちゃんと確認の電話も入れたし、何かの手違いってことはないと思う。」
「乗り換えの飛行機、間違えたのかねえ?」
「んな訳ないでしょー。電車じゃあるまいし。」
「まさか、途中で逃げ出したんじゃ…」
「縁起でもないこと言わないでよ、義母さん。」
一家に不安の色が広がる。
「呼び出ししてもらったらどう?」
「あ、それナイス。パパ、お願いね〜。」
頼りにされているのか便利に使われているのか、女達の視線が一家の大黒柱に向けられる。父は黙って首を縦に振ると、インフォメーションと書かれたカウンターへ歩いていった。
「すみません。」
「はい、どうなさいましたか?」
案内嬢がにこやかに応じる。
「今の便で到着するはずの者が、まだ来ないのですが。」
「この便に間違いないんですね?」
「はい。」
「わかりました。確認のため、呼び出しをかけてみましょう。」
「お願いします。」
「どちらからお越しの方ですか? お名前は?」
「あ、高知です。名前は…、名前?」
男の眉間に戸惑いの皺が浮き上がった。
「ちょっとすみません。…おーい!」
父はおもむろに声を張り上げ、家族を呼んだ。
すぐに長女が走ってくる。
「どうしたの? 何か事故だって?」
「いや。名前、なんていったっけ?」
「名前? ないわよ、そんなの。」
「ないって…それじゃ困るだろう。仮の名前でもいいから何かあるんじゃないか。」
「ん〜、あるかもしれないけど聞いてない。」
「あの…」
親娘の珍妙な会話に耐え切れず、案内嬢が声をかける。
「お名前、ご存知ないんですか?」
「やだ父さん、ちゃんと説明しなかったの? すみません。」
しっかり者らしい長女は頭を下げると
「猫なんです。三毛猫。」
満面にこぼれんばかりの笑みを浮かべて答えた。
「は…あ…。」
案内嬢は返答に困った。もしかしてからかわれているのではないだろうか?
「でも、あの、あれには『花嫁』って…?」
彼女は、親娘の後ろに立つ家族が持っている大弾幕を指差した。
「ええ、メスなんです。」
絶句。
一家は彼女の反応などまるで意に介していない様子で、アナウンスが流されるのを待っている。
「申し訳ありませんが」
彼女は何とか気を取り直すと、営業用スマイルを引きつらせて言った。
「猫は貨物になりますので、あちらの貨物センターでお受け取り願います。」
「貨物!」
老婆が目を見開いた。
「あんた、ちゃんと息できるようにしてあるんだろね?」
この世の終わりのような悲壮な声を張り上げ、詰め寄ってくる。貨物は箱詰めになっていると思っているらしい。
「だ、大丈夫です。専用コンテナがありますから。」
「こんてな?」
「あ、えっとその…、大きい檻みたいなものです。」
厳密には違うのだが、他に説明の仕様がない。
「とにかく、動物はみんなそれで運ぶことになっているんです。」
「みんなって、それじゃ、犬なんかも?」
「はい。」
「ええっ?! そんな、噛み付かれたらどうするんだい?」
「コン…檻の中で、また別々の檻に入れられているから大丈夫です。」
動物輸送の規定はくわしく知らないが、飼い主が用意したケージがある筈だ。
「ちゃんと離して置いてあるかい?」
「はい…(多分)。」
「でも、エサやトイレは?」
今度は母親が身を乗り出す。
「そのコンテナに用意されてるんですか?」
「さ、さあ…」
そんなこと、知るわけないでしょ!と怒鳴りつけたいのを、案内嬢は必死でこらえた。
「高知を出てから7時間は経ってる。ヤバいよ、それ。」
貨物は中継地で2時間キープしなければならない規則である。確かにそのくらいの時間はかかるだろう。
「じゃあ早く家に連れてってやんなきゃ! 行こ!」
言うや否や、妹が踵を返す。
「そうだ、急ごう!」
姉・母・祖母が続く。父も走り出そうとして
「あ、どうもお騒がせしました。」
思い出したように一礼を残していった。
案内嬢は、九月の台風のごとく去ってゆく一家を呆然と見送った。
そして、この後貨物センターで起こるであろう騒動を想像して、係員に心から同情したのだった。
その家族が富山空港の伝説となったかどうかは、定かではない。
【終わり】
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