からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その59(完) 

 

 客間の襖が開いた。

「原田君っ!」

 部屋に踏み入った男が、原田の名を呼んだ。

 肩で、息をしている。

 通用口で訊いて、広い屋敷を駆けてきたのであろう。

 名前を云っても意味はない。

 かつての名を過去ごと捨てた男だった。

 今は、才賀機巧社の総務担当、というべきポストにいる男だった。

 販売広告に才覚を発揮し、社に大きく貢献している男だった。

 原田が立ち止まった。

 だが、振り返らなかった。

「……カミさん、元気かい?」

 それだけ、訊ねた。

「ああ」男が応える。

そいつぁよかった……新八っつぁんがよ、あんたらの事心配してたんだぜ」

 男は黙ってうなずくと、続けた。「君はどうだ? そうだ、都で……」

「俺、彰義隊に入ぇったんだ」遮るように、原田が応えた。

「彰義隊だって?……」

「なぁに……とにかく、安心したぜ」

 風が吹いた。

「よかったろ? 生きててよぉ」

 原田の体を、風が吹き抜けてゆく。

 正二郎は目を疑った。

 一瞬、彼の背に、好んで着ていた浅葱色のだんだら模様の羽織がはためいたように見えたのだ。

 白く染め抜いた

『誠』

の文字が、ひるがえったように見えた。

「……これからの世の中、胸張って生きてける場所がいくつだってあらぁ」

「ああ」男が応える。

 それ以上、言葉にならなかった。

 風が吹いた。

「元気でな」原田が云った。

「……原田君ッ!」

 男が追う。

 原田の肩に手を掛け、云った。

「あんたがあの時、私に生きろと云ったからじゃないか!」

 掌に力がこもった。「今度は私が君に云う番だ、違うか?

「原田君」正二郎が続いた。

「原田様!」アンジェリーナが名を呼ぶ。

「……くっくっく、うれしいじゃねぇか?」

 原田は、振り返らなかった。

 笑う声にあわせて、背中が、肩が、震えていた。

「俺ァな、あんたらがうらやましかったんだぜ」

「我々が、か?」

「山南さん」
初めて、名を呼んだ。
「あんたあの時、居場所がないって云ったよな……けど、やっぱりそりゃ違うよ」

 云いながら原田は、男が肩に置いた掌を、みずから振り離した。

「あんたにゃ……そして正二先生、奥さんにも、
それぞれ心を置ける居場所が、ちゃあんとあったじゃねぇか」

「原田く……」

「けどよぉ、俺たちにはさ……新選組しかなかったんだよ」

 静かに、云った。

「俺や土方さんはな、ここにしか……こういう大喧嘩のできる所にしか、手前ぇの居場所がなかったんだよ」

「それは違うぞ、君にだって……」正二郎が云った。「初瀬はどうなんだ! 君たち二人の娘は!……都で君を待っているのだろう!」

 京を離れるずっと前のことだ。
 二人の婚儀は正二郎夫婦で執りしきった。
 宴席で婿嫁が口論を始め、
あてつけに花嫁が媒酌人に抱きついて押し倒す婚礼だった。

 原田は応えなかった。

 どこかで、名も知らぬ鳥が鳴いていた。

「先生」口を開く。「いつか、総司を診てやってくれ」

 それだけ云った。

 そして、

「あばよ」

 原田は、駆け出した。

「原田君っ!」追って、男が外へ走る。「待つんだ!」

 正二郎とアンジェリーナ、二人が取り残された。

 その視線は、庭先へ……

 二人が走り去った彼方へ向いていた。

 

 

 空が、高い。

 長い沈黙が続いた。

「……このまま、終わらせないよ」

 正二郎は小さな声で呟いた。

 すまんな、原田君。

 私たちは、あきらめが悪いんだよ。

 アンジェリーナと目が合った。

 微笑む。

 たぶん、彼女も同じことを考えたのかもしれない。

 

(fin)

(H25.3.10_R.YASUOKA)

この作品を、テレビドラマ「新選組血風録」「燃えよ剣」に携わった
すべてのスタッフ・キャストに捧げます。
テレビが電気紙芝居と揶揄されていた時代にこの作品を作り上げた
皆様の情熱を常に忘れずにいたいと思っています。

 

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