からくりサーカスオリジナルストーリー

「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜

十三章〜雨雲〜

 

 

「な、ん、だ?」
威圧するように、善治は、一語一語を強調した。「なんだお前は? え?」

「はなしてやれよ」
応えるかわりに、阿紫花はくり返した。

 彼の切れ長の眼が、彼より上背のある善治を、上目遣いに睨みつける。

「うっ……」一瞬、善治は声を詰まらせた。

「あ、アシハナくんっ?」

自ら手をほどいた彼女は、
二人に割り込み、それぞれの顔をのぞき込んでいる。
「善治様、あの、ですから……」

「アシハナ……そうか、お前か!」善治は歯を剥いた。「今度来た、黒賀のガキってのは」

 善治の言葉に一瞬、阿紫花の表情が歪んだ。

「あら、知ってらしたんですか?」ゆかりが訊ねる。「人形芝居やってるんですって?」

「な〜にが人形芝居なもんかよ、マイベイビー」ゆかりの言葉を鼻先で嗤い、善治は告げた。「こいつは『黒賀の人形使い』、人形を使った殺し屋だぜ……人殺しさ」

「え……?」

 静寂。

 言葉の意味がわからない。そんなふうに、ゆかりは表情を凍らせていた。

 阿紫花は、わずかに身をすくめている。

「そうさ、殺し屋なんだ! サイガの飼い犬なんだよ。こいつらは!」ただ、善治ひとりが得意げに喋り続けていた。そのまま彼は、立ちつくす阿紫花の顔をのぞき込み、言った。「なぁ? お前も加納や成田みたいに、俺達にしっぽを振るんだろ? え?」

 阿紫花の身体が、沈んだ。

 上体を倒した彼は、そのまま右の拳を善治の腹に撃ち込んだ。

「うっ!」叫ぶ善治に、

「うぉぉぉぉっ!」

 阿紫花は、
その身体に体当たりして押し倒すと、
馬乗りになって善治の顔を殴りつけた。

「きゃああっ、アシハナくん!」ゆかりの悲鳴が響く。

「このガキっ!」

 不意をつかれた善治だったが、

体格差にものをわせて阿紫花身体いのけた。

 そして、倒れた阿紫花につかみかかり、を振り上げた。

「いやああああっ!」

 

 

 

 

 打ち下ろそうとした善治の拳が、何者かに押しとどめられた。

「まぁまぁ、何だか知りやせんが、子供のしたコトでしょ?」

「何っ……誰だ!」善治が振り向く。

加納でゴザイマス♪ 若社長」加納はにこやかに、拳ごと善治の掌を握りしめていた。「どーも、お久しぶりです」

 彼だけではない。白衣姿の遠山が、少し離れて皆を見ている。

 善治の顔が、少しだけ、ひきつる。

 拳を上から握る力は、かなり強いようだ。

「今をときめくサイガの若社長がこんな、活劇映画のチンピラみてぇな役ドコロもねぇでしょ?」笑みを崩さず、しかし、瞳に光を孕んで加納は続けた。「不始末があるようでしたら、かわりにこの加納殴ってくだせぇよォ。ね♪」

「……!」

 ついに、声にならない呻きとともに、善治の手が下ろされた。

「さすがは若社長! よっく人間ができてらっしゃる♪」あくまでにこやかに、加納が手を離した。「おっと、忘れてやした。お呼びにきたんですよ」

「若社長……社長が、『H』の最終改修について、打ち合わせを始めたいそうです」遠山が言葉を継いだ。「若社長にも是非ご参加いただくように、との指示でございます」

「俺が、か?」善治は一瞬、怪訝な顔を見せた。

 が、そのまま車に戻るとエンジンを唸らせた。

 黄色の車が『工房』の建物へと走り去っていく。

「ちっ、オトコのクセにキザな野郎で」加納が吐き捨てた。「英、大丈夫ですかい?」

 言われて、地面に転がされた阿紫花は、静かにうなずいた。

「ま……あんなンでもお得意様です、あんまり揶揄っちゃいけやせんぜ」

 加納の言葉を聞きながら、ゆっくりと身を起こした。

「大丈夫?」その体を、ゆかりが横から支えた。

 ジャージ越しにぬくもりを感じ、
阿紫花は息を止めた。

「ごめんなさい、私が……でも、善治様を許してあげてね」
抱き起こされるかたちで立ち上がる阿紫花に、
ゆかりは囁きかけた。ちょっと強引だけど、本当は優しい方だから」

「……あんたが、ゆかりさんですかい?」

 二人を見て、加納が声をかけた。

「あ、はい♪」加納の端正な顔に、女性的な眼に見つめられてゆかりは応えた。

「あたくし、加納と申しやす。いつもウチの英……阿紫花がお世話になってまして」加納は軽く頭を下げ、ウインクした。「どうか、これからもよろしくこいつと遊んでやってくだせぇよ」

えっ、あの…………はい」かすかに頬を染めながら、ゆかりはうなずいた。

「じゃ、あたしらも打ち合わせに出席しやすんで……英」背を向けながら、加納は言った。「場数を踏むこってす」

「かっ、加納さん!!」あわてて応える阿紫花に構わず、加納は遠山と歩いていった。

 

 そして、

 庭園には、阿紫花とゆかりが残された。

 正体を、知られた。

 いつかは話す気だった。いや、今まで何度も話そうとしていた。

 だが、阿紫花は、言いようのない後ろめたさを感じていた。

「……ねえ」

 長い沈黙をおいて、ゆかりが口を開いた。

「加納さんって、カッコイイよねぇ」

「え?」
意外な言葉だった。

「カッコイイよね♪ ねぇねぇ、あの人もやってるの? 人形芝居」

「え、あっ、あの……」阿紫花は言葉を発せなかった。

 聞いていたのか、それとも……。

「……でも、子持ちだぜ」少し間をおき、阿紫花が応えた。

「そう。そうなんだ……でも、カッコイイよね……あっ」思い当たったように、ゆかりは笑いながら言った。「さっき、アシハナくんもかっこよかったよ♪」

「ば、バカ……」思わずそっぽを向いて、阿紫花は応えた。

「あははは、やっぱり……ヤキモチ焼いてるんだぁ♪」ゆかりが笑った。

「だっ、誰がだよ!……バカじゃねえの、が……!」言葉を呑み込み、しゃがみ込んだ。「ほら、草むしりするんだろ」

「そうだね……うふふ♪」微笑みを浮かべ、ゆかりも腰を下ろした。「さっきはアリガトね……うれしかったよ♪」

「けっ」阿紫花は黙って、雑草を引き抜いた。

 

 

 いつの間にか、雲は一面、灰色に空を覆っていた。

 雨が、近い。

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