からくりサーカスオリジナルストーリー

「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜

十六章〜急追〜

 

 

 着地は成功した。

 ボンネットに降り立った『トレジャーキーパー』は両膝緩衝発条(サスペンション)で衝撃を殺し、その惰力で静かに車体に仰臥する。

 それから身を起こした『トレジャーキーパー』と阿紫花に、
容赦なく雨が降りつけた。

 フロントガラスの向こうに、驚愕した善治を、阿紫花を見た。

 そしてその隣、助手席に、ゆかりの姿を。

「アシハナくん!」「くそっ、ガキが!」
二人の叫びが重なった。

 善治が、ハンドルを急転させ、車が旋回する。

 遠心力に抗おうとした脚が滑り、傀儡と、そして阿紫花は車の左側に転落した。

「ちぃっ!」阿紫花が糸を引くと、そのまま振り落とされそうになった『トレジャーキーパー』の大鎌をキャデラックの幌に突き立て、どうにかその身体を支えることができた。

 車の側面にしがみつくその両膝が、泥しぶきをあげながら地面に擦れる。

 彼はバランスをとりながら
人形の背に立つと、そこで両手首をぐい、と返した。

 大鎌を支えに、『トレジャーキーパー』がその身を車にと徐々にたぐり寄せていく。

 未舗装の路面を引きずられる人形が、木の枝や小石を跳ね上げながら、激しく振動した。

 それに耐えきれず、彼の体が揺らぐ。

「アシハナくんっ!」

 よろめく彼を振り返り、ゆかりが叫んだ。

「おっと!」

 そのまま転落しそうになるところを、阿紫花は手袋の左手を握りしめた。

 膝を深くついて、『トレジャーキーパー』の下半身がせり上がった。

 傾きが補正され、阿紫花の体はようやくバランスを取り戻した。

 そのまま、彼は続いて右手を後に引いた。

 『トレジャーキーパー』の両脚が地を蹴り、跳ね上がった。

 その両足を車体に架けようと、続けざまに糸を繰るところへ、

「くそっ!」
気づいた善治があわててハンドルを切る。

 遠心力によって、宙に浮いた『トレジャーキーパー』が外側に大きくぶれる。

「ちぃっ……!」落ちそうになった阿紫花は、そのまま人形の背にしがみついた。

 車に取りつき損ねた『トレジャーキーパー』の両脚が、空しく路面に引きずられていく。

善治様っ、やめてください!」
再び叫びをあげ、ゆかりが善治に取りすがった。

「振り落としてやるっ!」善治も叫んで、応える。

「そんなことしたら、アシハナくんが死んじゃうよぉ!」

「こうするしかないんだよっ!」善治がまた叫んだ。「みんな、お前のためだ!」

 『トレジャーキーパー』が、もう一度地を蹴った。

「こいつっ……まだか!」
善治は今度は、深々とアクセルを踏み込んだ。

 加速の勢いに大鎌を握る手がスリップして、ずるずると『トレジャーキーパー』が滑り落ちていく。

「ぐぅっ!」阿紫花がうめくと、人形の右手が伸びて柄の根元を掴み直した。

 繰るために身を起こした阿紫花を見て、

「しぶとい奴っ!」アクセルをふかしたまま善治は、シフトレバーをローに切り換えた。

 エンジンが、鋼の獣となって、咆吼する。

 さらなる加速を始めたキャデラックから、ぐんっ、という衝撃が伝わる。

「うっ!」
阿紫花が大きくぐらついた。

 耐えきれず、ついに彼は後へ倒れ込んだ。

「いやああああっ!」ゆかり叫ぶ。

 だが、阿紫花は墜ちなかった。

 彼は、彼と『トレジャーキーパー』とを結ぶ糸が、その間で張り詰めている。

 大きく後方に傾斜した彼の体は、によってかろうじて支えられていたのだ。

 支えるのが精一杯だった。

 阿紫花の顔、身体に容赦なく、風雨が襲いかかる

 歯を食いしばり、どうにか我が身を引き起こそうとしている。

 その様を確かめ、善治が
「今度こそっ!」と
前に向き直ったその時、

「やめてぇぇぇっ!」

 ゆかりが、
助手席のゆかりが、ハンドルを握る善治に飛びついた。

「よせ、やめろっ……ゆかり!」

 運転を妨害され善治は、抱きつく彼女の腕をふりほどこうとする。

 その、一瞬の隙をついて阿紫花は、両手の糸を一気にたぐり寄せた。

 糸に繰られて、『トレジャーキーパー』の両脚が地を蹴ったかと思うと、
そのまま……阿紫花を背に乗せたまま、華麗な前転をしてみせた。

 宙を舞った両脚が、そのままボディに着地する。

 その勢いで幌に手をかけ、一気に引き裂いた。

「何いっ!」気づいた善治が、驚愕の叫びをあげる。

 阿紫花を背負って立つ『トレジャーキーパー』の両腕が、善治とゆかりに伸びた。

「それぃ!」かけ声とともに阿紫花が糸を引く。

 すると、

 二人を攫った『トレジャーキーパー』は車体を蹴って、大きく跳躍した。

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