からくりサーカスオリジナルストーリー

「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜

十七章〜望見〜

 

 

 雨勢は弱まったが、いまだ止まずに降り続いている。

 闇に覆われた山林の向こうに小さく、まれたキャデラックが見える。

 林道の途中にある小さな展望台で、阿紫花達は降下するヘリを迎えていた。

 ようやく追いついた後続車両からは黒スーツを着た男たちが降り立ち、後始末に追われていた。

 そのうちのひとりが発光信号で誘導し、ヘリが着地しようとしている。

 『トレジャーキーパー』に身をもたせて阿紫花は、それらの光景を力無く眺めていた。

 ゆかりと善治、二人は、傀儡の脇に抱えられたまま気を失っている。

「ん……」ゆかりの瞼が動いた。

「気がついたか!」

 駆け寄った阿紫花が、その体を静かに抱きおろしてやるさなか、ゆかりは意識をとりもどした。

「アシハナくん……大丈夫!? 怪我はない?」

 それが、ゆかりの第一声だった。

 彼女は、阿紫花に駆け寄ると
その身体をなで回し、手足の泥を払いのけようとしていた。

「ばっ、バカ……! 平気だよ。これくらい……」

「よかった、無事だったんだね……もう! 心配させないでよ

 阿紫花は身をかわした……これでは、どっちが助けられたかわからない。

「あのな!」

 大声で言いかけた言葉は、耳をつんざく爆音に遮られた。

 風と雨飛沫を伴って、ヘリが静かに降り立とうとしていた。

 

「くそっ……こんなんじゃ、傘は役にたちゃしねぇ」

 ヘリを降りた加納の独り言が、エンジン音に紛れて途切れ途切れに聞こえてきた。

 彼は手にした傘をヘリの山仲に投げつけると、
白い上着を惜しげもなく脱ぎ捨て、ゆかりの両肩に掛けてやった。

 断る暇も与えずに彼はそのまま、風に舞うジャケットの裾をおさえてやる。

「あ、ありがとうございます……」と、礼を言うゆかり。
それを傍らにして阿紫花は、ようやく口を開いた。「加納さん……」

「よくやったな。英」

 ワイシャツが濡れるのも気に留めず、
加納が微笑み、続けた。「立派でしたぜ」

「そんな……」加納に見つめられ、思わずうつむきながら阿紫花は応えた。

「いやいや、たいしたもんです」加納はぽん、と阿紫花の肩を叩く。

それから、思いついたように言葉を継いだ。
「そうだ、悪いが……おめぇは残ってくんな。陸路で、善治を連れてきなせぇ」

「えっ?」

 言われて気づいた。

 阿紫花は、『トレジャーキーパー』のそばの善治に目をやった……黒服の男たちに囲まれて、善治は力無く座り込んでいた。うつむいた顔からは、表情を見ることができない。

「でも加納さん、残れって……!」阿紫花は反論した。

 その眼が、かすかに、隣のゆかりを窺う。

「安心しな」
そんな彼の気持ちを汲んだのか、加納はウィンクをしてみせた。
「おめぇの留守に嬢ちゃんを
口説いてモノにしようなんざ、
これっぽっちだって考えてねぇからよォ」

「なっ、そんな……!」

「あははっ、アシハナくん……ヤキモチ焼いてるんだぁ?」

 阿紫花が口ごもると、横からゆかりが茶々を入れた。「お姉さん、うれしいな」

「ふざけんなっ! 違うよっ!」

「英、赤くなってやすぜ」

「かっ……加納さんっ!」

「うふふ♪」
邪気のない笑顔だった。
その笑顔のままで、ゆかりは言葉を続けた。「じゃあアシハナくん、あとでね。善治様を……」

「善治を頼みやしたぜ
遮って言い残すと加納は、静かに、ヘリに向かって歩き始めた。「それじゃお嬢ちゃん、こっちへどーぞ」

 声に気づいてゆかりが、その後に進んでいく。

 不意に、

「……あ、待って」と、足を止めた。

 彼女は、ゆっくりと、振り返る。

 白色のライトに照らされた世界が、一瞬、時を止めたように阿紫花には感じられた。

 展望台の下に、ふもとの街の灯がひろがっている。

 小さく微笑みを浮かべた彼女はその夜景を、阿紫花を、そして山を、空を見渡した。

「きれい……」

 そう、一言だけ口にして、彼女は再び歩き出した。

 無言のままの阿紫花に見守る前で、ゆかりは、加納に手をひかれてヘリに乗り込んだ。

 加納が合図すると、唸りをあげ回転翼が速度を増す。

 そして、雨を飛沫と化しながら、ヘリは宙に舞い上がった。

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