からくりサーカスオリジナルストーリー
「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜」
十八章〜交錯その1〜
「……で、てめぇは兄貴にとっつかまったワケだ」
善治の手が、その白くなった髪にかかり、梳くようになでつける。
「逃げられると思ってたんだ……」
「バーカ」羽佐間の応えは無情だ。「兄貴や加納のおっさんが追ってんだろ? 逃げ切れるわけ……」
それから羽佐間は、気がついて、急に顔を寄せた。
「おいっ!」
「……ってことはおめえ、まさか……
才賀の家を捨てる気だったのか?」
善治の答えはなかった。
その膝で、紫陽花の花が、揺れている。
「……マジ、かよ……」
羽佐間も、言葉を詰まらせた。
「だっておめぇ、社長だろ! それを捨ててまで、その娘を……?」
「若かったんだよ。あのときは」
沈黙を破って、善治が口を開いた。「どんなことをしても、手に入れたかっ……いや、守ってやりたかったんだ」
「ふざけんなよっ、
さらっておいて何が『守ってやる』だと?」羽佐間が言い返した。
「羽佐間、お前は何も知らんのだ。だから……」
「おめえが話さねぇからだろうが!」
つい、声を荒げた羽佐間は、彼の胸ぐらをつかみあげた。「おうコラ、いつまでも勿体つけてんじゃねえ! その娘は……ゆかりってのぁ、いったい何なんだよ!? さっさと話せ!」
「……ああ」重い口調で、善治は応えた。「もう、いいな」
「けっ」羽佐間が吐き捨て、つかんだ手を放した。
「……その日の会議で、貞義は『H』の最終改修を指示したよ」何か遠い何かを思い起こすように、善治は静かに語りはじめた。「加納に山仲、遠山に……人形作りの関係者は皆集められた。そして、わしも……」
「ふざけんな、何が『守ってやる』だと!」
阿紫花は、善治の胸ぐらをつかみあげた。
「さらっておいてよくもそんな言葉を……」
「何だと……お前! おまえ……」
声を震わせながら、善治は応えた。
雨に崩れた前髪が、その額から目元に懸かっている。
「……やつらと、グルじゃないのか……」
「グル?……何のことだ」
いぶかしげに、阿紫花は訊ねた。
「お前、知らないのか……
ゆかりが、ゆかりが……」
その名を聞いた瞬間、阿紫花の掌に力がこもった。「おい! どういうことだ!」
「からくり便七だとぉ?」羽佐間は訊き返した。
「ああ、江戸中期のからくり人形師だ」善治が応える。
「その男が遺した文献に、
永久に動き続ける機巧人形の記述を見つけたのが、そもそもの始まりだ」
「永久に……? それが、なんだって……」
「からくり……べんしち?」
雨に打たれながら、阿紫花は善治に訊き返した。
「永久に動く人形だと? それが……」
「ゼンマイだ。ゼンマイに秘密があるんだよ」
濡れるのもかまわず、善治は語り続けた。
「……お前も知ってるだろう、阿紫花。
傀儡の多くは鋼線、あるいは鯨の髭を
ゼンマイに用いて動いている。それを……それを、便七は……」
そして彼は、目を覆う前髪を拭ってこう続けた。
「若い女の心臓の肉を、ゼンマイに用い……人形を作ったと、そういう記録が残されてたんだ」
「眉唾かもしれん」善治は続けた。
「実際に作られた人形が、
いまもどこかにあるという話だが……それが本当かもわからん。だが」
「だが?」阿紫花が反駁する。
「だがアニキは……貞義はそれをもとにいや、さらに進めた研究を始めたんだよ」
「眉唾かもしれん」善治は続けた。
「現存していた唯一の人形も、
数年前に失われたというから……それが本当かもわからん。だが」
「だが?」羽佐間が反駁する。
「だがアニキは……貞義はそれをもとにいや、さらに進めた研究を始めたんだよ」