からくりサーカスオリジナルストーリー
「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜」
二章〜献花〜
その施設は、外から見た印象以上に広い敷地を有していた。
そびえる建物には見向きもせず、敷地の裏手へ、そこにある小山へと歩いていく。
それは、高さにして5メートル程度の山だった。どうやらそのあたりは、ちょっとした庭園になっていたようだ。ただ、何年も放っておかれたようで、そこに見かける薄汚く苔むした大石や枯れて折れかけた松の木、水涸れして僅かに水たまりのできた池、そして生い茂る雑草ばかりが、かつての計算された人工の美の痕跡を残していた。
右手に傘を差し、片方の手で花束を持ったままで阿紫花は、崩れかけた石の階段を黙って登っていく。
『梅雨ってのぁ、なんかこう……生暖かくって、ジメジメして薄気味悪いですねえ』
その脳裏に、先程の羽佐間の言葉が甦った。
(ちっ。羽佐間のヤツ)彼は舌打ちした。(加納のおっさんと同じことをいいやがって)
「梅雨ってのぁ、なんかこう……生暖かくって、ジメジメして……薄気味悪いですねぇ」
純白のスラックスをはいた長い足が、言葉とともに車からアスファルトへ降り立った。
青年と壮年の間くらいの年代だろうか……目立つくらいに背の高い男だった。
施設の入口で車から降りた男は、純白のスーツが濡れるのも構わずに、ミラーサングラスを掛けた顔で曇った空を見上げ、言った。「おーい、空さんよォ! ちったぁ手加減してくだせえよっ、こちとら雨続きでうんざりなんですぜぇ!」
「加納さん! 傘! 傘くらい差してくださいってば!」運転席から、小柄な男が声をかけた。それからその男は、後部座席に座っていた阿紫花を睨みつけた。「おい、阿紫花の坊ちゃんよ……あなたが傘をさすんでしょ? なにをぼさっとしてるんですかっ!」
「あ・・・すいません、山仲さん!」
その言葉にはじかれたように、阿紫花は車を降り、傍らから男に傘をさしかけた。
「そら、モタモタしてるんじゃありませんよ」小柄な男が、丁寧だが陰湿な口調で、聞こえよがしにつぶやいた。
(ヤなこと、思い出しちまった。山仲の野郎……)
石段を登りきった阿紫花は振り返って、その高台からの景色を見回し、息をついた。
門からそこまで、たどってきた道のりがやけに遠く見えた。
「今さら名乗ることもねえでしょうが……あたしが黒賀の加納です。ご存じでしょ? 有名ですから」
通された、殺風景な部屋で純白の服の男……加納はこう切り出した。
ミラーサングラスを外したその顔は、怜悧……と言ってよい印象を、見る者に与える。鼻筋の通った整った顔立ちにややつり上がった眼、透きとおるような色白の肌は、どことなく女性的な雰囲気すら漂わせていた。
ただ、そのイメージと裏腹に、加納は饒舌に喋り続けていた。「このあたしが直々にね、社長たちのお作りになった人形をテストさせてもらいますから、今年は……あ、紹介を忘れてました、こっちの……山仲はご存じですかい? ええ、そうです。こないだの仕事で大ポカやらかしたドジな野郎です……あのときはホント、すみませんでしたねぇ……。今回はあたしのサポートに連れてきて……えっ、こっちのこいつですか?」
加納の、そして一同の目がいっせいに自分に向けられるのを感じ、阿紫花は身を縮めた。
「こいつはね……英、いやこれは仇名でね。阿紫花英良っていうんですよ。本名は」
黒賀の人形使い、加納と、山仲。
彼らを取り囲むようにいるのはサイガの重役、あるいは技術者だろうか? 黒服に身を包んだ男、白衣をまとったものもいる。
そのすべてが今、自分を注視していた。
「まだ十三ですが、村のガキどもの中でも、とにかく筋がいいんですよ。それでね……」加納が続けた。「早いウチから繰りと仕事に慣れさせんのと、それから社長がたへのお披露目に連れてきたんで。社長が出張中ってのが残念ですがね……ま、そのうち挨拶させましょう。今回はこいつにもテストをさせる予定ですんで、よろしくお願いしやすぜ♪」
あった。
目印になる紫陽花の花が、今年もまた、色とりどりに花弁を開いていた。
その植えられた紫陽花の茂みの陰に、小さく置かれた墓石を見つけると阿紫花は、手にした花束をそのたもとに置く。
(そうだ……初めてあの人にあったのも、あのときだったんですね……)
傘を差したまま、阿紫花は墓石の前にしゃがみ込んだ。
そして、目を閉じた。