からくりサーカスオリジナルストーリー
「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜」
三章〜廃室〜
建物が使われなくなって、いったい何年経っているのだろうか。
昔は……そこは、懸糸傀儡の実験施設だったと、羽佐間は聞いていた。
才賀が作った人形を、黒賀の者がテストする。
その、テストした結果をフィードバックして、才賀が改良した人形をまた、黒賀の者が使う。
だが今は、
そこは、単なる殺風景な廃屋と化していた。
どこに目をやってもある物は、化粧板が剥がれ、むき出しになった灰色のコンクリ壁、天井からだらしなく垂れ下がった電気配線あるいは、無造作に散らかされた廃材ばかりだった。
どこかで、雨漏りがしてるのだろう。羽佐間が今いるその部屋……一階の、その、おそろしく広い部屋……には、壁のひび割れから浸みた水が床を濡らし、いくつもの水溜まりを作り出していた。
足下に気をつけながら家捜ししていた羽佐間は、ようやく、部屋の隅に放置されていた椅子を見つけて拾い上げ、それに腰を下ろした。
だが、
次の瞬間、古びた椅子は羽佐間の体重に耐えきれず、悲鳴のようなきしみをあげ、バラバラに砕け散った。
自然と、羽佐間の体も床に転がる。
「痛ぇっ!」思わず大声を上げる。
「バカヤロウ……チキショーッ!」
悪態をついて起きあがった羽佐間は、散らばる残骸を蹴とばした。
そして、しゃがみ込んだ。
(あ〜あ、ついてねえよな……)
気も滅入るはずだ。
彼の一族……黒賀の人形使いが二手に分かれて陰惨な殺し合いを繰り広げたのは、たった一月前のことである。
しかもそれが……かつて、彼らの依頼主でもあった才賀貞義に仕組まれた、一族を滅ぼすための策略と知らされたのである。
おまけに彼らは……彼と阿紫花は、その過程で
依頼主を裏切るというルール違反さえやっている。
これからのことを考えたら、頭が痛くもなってくる。
それでも……それでも自分は、阿紫花についていく。
幾百度も考えた結論が、再び彼を奮い立たせた。
(そうだ……あっしが、兄貴を守ってやらねえとな……)
その、とき。
誰もいないはずのその建物に人の気配を感じて、彼は反射的に身を隠した。
もしや……追っ手か?
拳銃を抜いて羽佐間は、物陰から様子をうかがった。
建物の入口、ドアの向こう……少なくとも二人……と、敏感に気配を読みとる。
歩き方、足音から察するとどうやら……いや、間違いなく素人だ。
しかも一人は自転車……いや、車椅子のようである。
ドアに近づいたようで、声が聞こえてきた。「……汚い建物ですね、社長。こんな所にいったい何を……」
「いいから、ついてこい」その、もう一人の声に、羽佐間は覚えがあった。
ドアが開かれた。
(善治……やっぱり善治か!)
車椅子を秘書に押させて姿を現したのは、サイガ電気社長の才賀善治だった。軽井沢の、一月前の事件で阿紫花達と対立した『誘拐組』を雇って黒賀に殺し合いをさせた張本人の一人である。
そればかりでない。
今も……そう、今もある事情により、彼とは浅からぬ因縁があるのだ。
「気をつけてください、社長」
車椅子を押す秘書が、おびえたようにあたりを窺った。「さっきこっちの方で、何か大きな音がしてましたよ」
「気の小さい奴だな……心配ない。どうせネズミだろう」落ち着いて善治が応えた。
(けっ、ネズミはてめーじゃねえか)と、羽佐間が舌打ちする。
(さて、どうしようかな……)
こんな所にどうして善治が現れたのか、理由はわからない。
害もなさそうだし、
この際ほっといてもいいか……
そんな考えも浮かぶ。
だが、
善治の、車椅子に置かれた彼の手元を見て、羽佐間は決断した。
やにわに銃を構えたまま飛び出し、部屋の中央にいる二人に立ちはだかった。
「うわぁぁぁっ! なんだお前はっ!」いきなり現れた羽佐間に、二人が驚愕し、叫ぶ。
「おい、善治さんよ」銃を構えて、羽佐間は訊ねた。「その手の花束……アジサイの花束は、いったいどうしたんだよ! え?」