からくりサーカスオリジナルストーリー
「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜」
四章〜残影その1〜
『H』対傀儡格闘における運動能力総合検証
第一回
傀儡が、傀儡を繰っている。
懸糸傀儡をはさんで対峙する加納の姿は、阿紫花にそう思わせた。
『H』は、十二本の特殊繊維によって、加納の両手の手袋とつながれている。そして、操る加納の全身からは二十四本の電気ケーブルがのび、彼の後方の記録計に接続されていた。
無数のペン先が描く曲線は、加納の脈拍・呼吸数・筋収縮を正確に刻み続けている。
その記録計を囲むようにして、十名近いサイガの関係者が加納と彼とに注目していた。
「手加減はしやせんぜ、英」
ゆらり。
『H』は、普通の傀儡と較べ、二回りほど大きな人形だった。
まだ未完成の胸元から、おそらく顔に相当するであろう部分にかけて十字状に、内部の機巧が露出したままになっている。
(主幹動力部の最終改修がまだですので、現時点での『H』の完成度は約80%といったところです)阿紫花の脳裏に、技術者の説明が甦った。
(80%? そんな半端な人形を、この加納に試せってんですか?
……英、帰るぜ)
(なっ……そんな、待ってくださいっ!)
(ったく、黒賀も舐められたもんですねぇ。今度はきっちり完成させてから呼び出すこってす)
(そ、それは……。最終改修は、社長の許可がないと……)
(だったら社長が戻ってきてからにするんですね♪ あたしはね、娘と遊園地に行く約束してたんですよ……山仲ぁ、車回してくんな)
(加納さんっ……、繰りに必要な機巧は完成しています! 理論上では現時点でも、普通の傀儡以上に戦闘力を発揮できるはずです。ですからそこを……お願いします、加納さん!)
(…………ちっ)
足の関節が動くと、女性的な曲線で構成された体躯が前に傾く。
それに遅れて、阿紫花は彼の人形『トレジャーキーパー』を動かす。
傀儡は、阿紫花の繰りに正確に反応し、両腕にした大鎌を上段に振りかぶった。
「英……おめえ、まぁた油差しをサボってんな」
その動きがともなう、僅かにきしむ音に気づいて加納が言う。
「すいません、加納さん……」
緊張のせいか、それ以上は言葉が出なかった。
詰め襟の学生服が、妙に蒸し暑い。
組み合う前に脱いでおけばよかったと、内心で後悔していた。
それに反して、加納はきわめて平静なものだ。
彼の肌には……電極を取り付けるために下着一枚になった素肌には、汗粒ひとつない。
ミラーグラスを外した瞳が異様に澄みきって、阿紫花を見据えている。
視線をそらさず睨み返すだけで、阿紫花には精一杯だった。
「さあさあ、殺すつもりでかかってきなせえってよォ」
声にあわせて、加納が糸を繰る。「見物人の前だからって、固くなるこたぁねえですよ」
「このボーヤじゃ駄目ですよ、加納さんの相手は」サイガのスタッフにまじって二人を窺っていた山仲が、冷笑混じりに言う。
「黙ってろ、山仲!」構えたまま、加納が叱責をとばす。「おめえさんなら秒殺ですぜ……このボーヤによぉ」
「ぐ……」山仲が絶句する。
「ほぉら、どうした英!」
再び、加納の声が阿紫花に投げかけられた。
それを合図にしたように、阿紫花は両手の糸を一斉に強く引っ張った。
上体を前傾させ、鎌を構えた『トレジャーキーパー』が突進する。
間合いを縮めながら大鎌を、阿紫花は唐竹割に振り下ろした。
……やったか!?
糸を繰る指先に、確かな手応えを感じたと思った。
だが、
阿紫花は、それが『トレジャーキーパー』が床に叩きつけられた衝撃だったと知った。
一瞬遅れて、目に焼きついた残像が、彼の脳に到達する。
『H』は、紙一重でかわした大鎌の柄を掴み、それを支点に『トレジャーキーパー』に足払いを掛け、転倒させたのだ。
「攻撃はワンパターンですが……なかなか見事な突進でしたぜ、英」
『H』の後ろで加納は、ゆっくりと手袋を外しにかかっていた。
「今日はこれまでにしときましょうか、ね?」
「そんな、待ってください!」白衣姿の髭面の中年、遠山というサイガの主任技術者が引き留めた。「たったあれだけじゃ、何がなんだか……」
「VTRがあるでしょ。それに……」
それを相手にせず、加納は全身につながれた電極を引き剥がし始めた。
「……左膝の前屈維持発条、
左腕掌握筋発条制御カム、それから腰関節の第二軸受!
調整が甘えです……左指のストレスになってるでしょ?
何が普通以上の戦闘力ですかい。期待して損しやしたぜ……
キチンと直してくれねえと、使う気にもなれねえや!」
「えっ……!」言われて、遠山は慌てて記録計を見直した。
「それに瞬発力の悪さは致命的です。アタシでなきゃ、英に叩っ斬られてやしたぜ」服を着ながら加納は、独り言のようにつぶやいた。「遠山さんよぉ……何とかするよう、貞義に言っといてくだせえよ。こんな傀儡なら……遊園地に行った方がマシってもんでしたぜ。……ほら英、行きやすぜ」
阿紫花には、加納の声も耳に入らなかった。
ただ彼は……言葉もなく、床に目を落としていた。