からくりサーカスオリジナルストーリー
「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜」
二十四章〜奏演〜
「んじゃ、今日はこっちから行きやすぜ。英!」
加納が差し出す手指の先の糸が、しなやかに、弧を描いて躍る。
その動きに操られ、『H』がゆっくりと『トレジャーキーパー』に向き直った。
(こ、こいつは……!)加納の構えを見て、阿紫花は凍った。
「レディース・エン・ジェントルメン!
ご覧くださってますかい? 皆さん。
こいつが……」繰りをしながらも、加納の口は止まらない。
「これからお見せいたしますは、
幾多の敵を葬り去ってきやした、
黒賀の加納の
『コンダクト』でござぁーいっ!」
言って彼は、構えた両手を振るように動かし始めた。
間断のない、リズミカルな繰りが『H』に生命を吹き込んでいく。
「第一楽章:アダージョ!」
『H』は、その鈍重そうな体躯に似合わぬ瞬発力で突進し、組んだ両の掌を、上段から『トレジャーキーパー』に叩きつけた。
糸を繰るのが間にあって、『トレジャーキーパー』が後退して躱す。
その体に、『H』の右足が襲いかかった。
蹴撃を受けて、そのまま『トレジャーキーパー』が後に吹き飛んだ。
「くっ……!」
避けるのが間に合わず、
阿紫花は糸に牽かれて転倒した。
「ほらほら、どうしなすった? 英」続けざまに加納は、
すっかり指揮者(コンダクター)になりきって両手を振りかざした。「アレグロ・ノン・トロッポ」
『H』の攻撃が続く。
突進する上半身に埋め込まれた生体の……ゆかりの裸身に、阿紫花は目をそらした。
その間をつくように、『トレジャーキーパー』の腹部に、『H』の拳がめり込んだ。
またもや『トレジャーキーパー』がはじけ飛んだ。
「遠山さん、どうですかい……今のパンチ?」
「想定以上です!」
計器を見ながら遠山が応える。
「打撃力、スピードとも申し分ありません」
「ま、腕がいいのもありやすからねぇ」
加納が、唇の端で笑ってみせた。
そして、続けた。「第二楽章:アレグロ・コン・グラツィア」
上機嫌なようで、
手を振る加納の口には、いつの間にかハミングが浮かんでいる。
『H』は今度は『トレジャーキーパー』を拾い、両手でつり上げた。
二つの人形の大きさの違いから、
まるで、大人が子供を嬲っているようにも見える。
そのまま『H』はじわじわ、つかんだ『トレジャーキーパー』の腕を締めあげた。
その『H』に、船飾りのように飾り付けられたゆかりは、無表情のままだった。
人形の後背に据え付けられているシリンダーから、蒸気と思われる煙が立ちのぼった。
すると、
血液が循環するのか、ゆかりの表情にほのかに赤みがさす。
それにあわせて『H』の腕にいっそうの力がこもり、締めつけられている『トレジャーキーパー』の表面装甲が悲鳴の如き音を立てる。
加納の奏でる鼻歌めいた音楽が、そのきしみに重なる。
「力はイマイチ、ですかねぇ……」
加納が残念そうにため息をもらした。「ま、女の子の筋肉じゃ限界もあるでしょう」
「……っ!」
その言葉に、
阿紫花の形相が、変わった。
「そうです英、いい顔ですぜ♪」
加納が言う。「そんなふうにね、相手を殺してやろうって勢いが欲しぃんですよ。あんたにゃ」
「どうして……
どうしてなんだよ、加納さんっ!」
それに対しての阿紫花の声は、叫びにも近かった。
「あの時……知ってて、俺をあの人から引き離したのかよ!」
加納の手が、止まった。
「……」加納は、応えなかった。
「加納さん! なんでこんな事を、こんな……」阿紫花は続けた。
「だってもし、あんたの娘が同じことをされたら……!」
二人は一瞬、沈黙した。
「そうです♪」加納が微笑んだ。
「相手を動揺させて隙を誘う。教えたとおりにやってくれて、あたしは嬉しいですぜ」
加納の右手が頭上で小さく円を描く。
『H』の蹴りが再び炸裂した。
吊るされていた『トレジャーキーパー』が宙に飛ぶ。
「でも、まだまだですねぇ」大仰に手を下ろし、
加納が言った。「ほら英、しっかりしねぇか!」
「……くそぅ」
背を曲げ、阿紫花が両掌を構え直した。