からくりサーカスオリジナルストーリー

「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜

二十六章〜残影その4〜

 

 

社長!
遠山は、懇願するような口調だった。
「生体に損傷が出ています! これ以上の戦闘が負担になったら……」

「やらせるんだ」
貞義は繰り返した。
「これで壊されるなら、『H』もそれまでだ」

「そんな……!」遠山の口髭が震えていた。

「やっと……やっと完成した『H』ですよ!」

 二人のやりとりに構うことなく、
阿紫花は、ゆっくりと掌を動かした。

 『トレジャーキーパー』は立ち上がりざま、傍にあった長机に手をかける。

 テーブルが傾き、
上に置かれた測定器が床に滑り落ちた。

 その、手にした長机を『H』に向け、かざした。

 そこで、阿紫花は動きを止めた。

「ほう、盾ですかい?」
笑みを作って加納は言った。「……そうだ、そういや
『矛盾』ってコトバがありやしたね。
矛が盾を壊せるか、いっちょやってみようじゃねぇか」

 加納が動きを止めた。

 長机を構える『トレジャーキーパー』に
狙いを定めた態勢で、『H』も静止した。

 『トレジャーキーパー』も、動かなかった。

(一瞬だ……一瞬がすべてだ……)
阿紫花が、咽喉を鳴らす。

加納が、

瞬いた。

 その指先が、微かに動いた。

阿紫花も、

反応した。

 二人は
ほとんど同時に、大きく、一気に両掌を振りかざす。

 『H』の拳が、長机もろとも『トレジャーキーパー』を粉砕すべく突き出された。

 長机は
他愛もなく、その真ん中で打ち折られる。

 だが、

 そのまま
『トレジャーキーパー』を撃つはずのパンチは、空しく宙を斬っていた。

 攻撃の瞬間、『トレジャーキーパー』は飛翔した。

 持った長机

踏み台に
して、
『トレジャーキーパー』は空中に躍って『H』を狙う。

 攻撃に踏み込んだ『H』は、反応が遅れた。

 「なっ……!」
上を見て加納が叫び、糸を捌く。
「……対空防御っ!」

 紫陽花の花の下から
細長い発射管が伸び、
上空の『トレジャーキーパー』に向けられた。




気独特の
発射音を伴い、十数本の短槍が撃ち出されると、それらは、空から襲いかかる『トレジャーキーパー』の手足の関節を精確に狙い、次々に貫いた。

 そのうち3本が腰を撃ち抜き、傀儡の下半身を切断した。

「まだだっ!」阿紫花が糸を繰る。

 右腕が動き、右肩に命中するはずの短槍を叩き落とした。

 そのまま『トレジャーキーパー』は、『H』めがけて落下した。

 

 すべては、一瞬の出来事のはずだった……と思う。

 ゆかりの体は、紫陽花の花に囲まれ、『H』の胸部に埋め込まれている。

 上半身だけの『トレジャーキーパー』が、それを組み敷くよう『H』にとりついた。

 

『コンニチハ。ボク、太郎クンダヨ』

 

(そうだ、そうなんだよ……)

 阿紫花は、
最後にもう一度だけ、
ゆかりの顔に目をやった。

 幼さを残した顔。
赤みのさした唇は今だ息づいているのが、その体組織に生命の灯が続いていることを示していた。

 だが、

(……もう……!)

噛みしめた唇から


ひとすじ、





流れた。

 

 もう、
雨の庭園で優しく無邪気に笑うあのひとは、どこにもいない。

 

 手袋をした右手を天に掲げ、
そして、
力強く握る。

 『トレジャーキーパー』の右腕が、
ゆかりの白い肌に、胸の谷間に深く突き立てられた。

 制御を失くした『H』が、
いっさいの動作をやめる。

「くっ、こ……の……動けぇっ! かんかぁっっっ!!
焦燥が余裕を奪うのか、加納の口調がかわった。

 だが
必死の繰りも空しく、『H』はもう、動かなかった。












傀儡の腕が、さらに、深く、
りゆく。

 だしぬけに、
阿紫花の口が、開かれた。

「うがぁぁぁぁっ!」

 吶喊とも、哀号ともつかぬ叫びを振り絞りながら、阿紫花は両手を牽き起こした。

 まだ脈打つ心臓を掴んだ右腕が、ゆかりの身体から引き抜かれた。

 

 

      ともにきずりされた血管
神経の束に絡
         ん
         で、

   そして
薬剤、滑
     油
      混じったどす黒い液体が、おびただしく噴出する。

 

 

 がこん。

 機巧の立てる異様な動作音と、

「しまったぁ!」
加納の叫びが重なった。

『H』が背負っていたシリンダーが弾け飛ぶ。

紫陽花り、
花びら
が、
ピンク
ブルー色とりどり
花吹雪と化す。

 それを合図に、
『H』が、まるで痙攣するように震え始めた。

 

肘、膝、頸、

指、
肩、

「いかんっ、破裂するぞ!」スタッフ達に動揺が走る。
「うわぁぁぁっ! 『H』がっ……私の『H』がぁっ!」遠山が絶叫した。

腹、
背、

「や……」
汗と雨と血に濡れたまま、阿紫花が

ただ、
才賀貞義だけが、
微動だにしなかった。






た。「やった……」

 踝、踵、

「……!」
指揮者が喝采を浴びて答礼するように、
加納は大手を振り、静かに身を屈めた。

 その口元に僅かに微笑が浮かんだが、すぐに消えた。

 腰、顎、
股……。

 

 『H』のすべての関節が、順々に、異様な角度に折れ曲がっていく。

 胸元に飾られたゆかりの裸身が、体液をおびただしくまき散らしながら、引き裂かれる。

彼女の顔が、
苦痛にに歪んでいるように、
阿紫花には見えた。

 そして、

 一瞬、静寂を取り戻し、

 そのまま、『H』の巨体は砕け散った。

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