からくりサーカスオリジナルストーリー

「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜

 

二十九章〜慟哭・または語られざる残影

 

 

 床に這いつくばらされた阿紫花には、
はじめ、その姿は見えなかった。

「アニキぃっ!」

 大声とともにドアが乱暴に開かれ、一人の男が飛び込んできた。

 見えないが、声でわかる。

 男は……善治は、
室内の奥に貞義の姿を認めると、
それに向かって一直線に駆けだした。

 足音と気配から、止めようと数名が動いたようだ。

「どけぇ!」

 叫びにも近い声、人の倒される音、一向に止まらぬ足音。

 やがて、

 乾いた足音を立てながら善治は、
阿紫花の視界に飛び込んだかと思うと、
そのまま
貞義両肩つかみかかった。
「よくも……よくもゆかりをっ!」

 

 

 

「あの野郎……」と、山仲が止めに動く。

 加納の片手が、
その飛び出そうとした体を制した。

加納さんっ、なんで……!」

「兄弟の問題です……あたしらには関係ねぇ

 とだけ加納は言い、そして、黙った。

「くぅ……」言い捨てて山仲は、
八つ当たりでもするように、阿紫花の頭を踏みつけた。

 床に押しつけられて、視界から、二人の姿が消えた。

 

 

 

 

「ふっ、出来損ないが何の用だ」

落ち着き払った貞義の声は、
まるで、
つかみかかられていることなど全く意に介してないようだった。

「ふざけるなっ、ゆかりを……よくもっ!」

 

 

どう。

 

 

二人の倒れた衝撃が、床づたいに阿紫花の全身に伝わった。

「人の、人の命を何だと思ってるんだ!」

 頭を少しだけもたげて、阿紫花は見た。

 モニターの光を後背にして、
馬乗りになった善治のシルエットが幾度も、
倒れた貞義を殴り続けている。

「俺達はっ
……俺も、ゆかりも……、
誰も兄貴の人形じゃない!」

 叫ぶ善治の、表情は見えなかった。

 やがて、

 善治の拳が、止まる。

 黒い影が、激しく息をついている。

 殴り疲れた善治が、貞義の胸ぐらをつかみ引きずり起こしたとき。

 

 

 

「……気が、済んだか」

 低い、貞義の声が、静まりかえった部屋の中に響きわたった。

 

 

 

 

「うっ……」

 善治の影から
呻きとも、唸りともつかぬ声をあがる。

 その手が、襟元から離れて……貞義の上体が、ゆっくりと床に横たわった。

「うっ、うっ……」

 それは、絞り出すような声だった。

「……うわああああぁぁっ!」

 空をつかむように広げられた掌で、やがて顔を覆うと善治は、絶叫した。

 悲痛な叫び声だった……阿紫花には、そう聞こえた。

 その胸にわだかまる
あらゆる感情のことごとくを、
そう、
すべてを叩きつけるように、善治は叫び続けた。

 

 

 

……外は、雨だろうか。

 なぜか、

 阿紫花英良の耳には、その時、届くはずのない雨音が聞こえたように思えた。

 

 

 

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