からくりサーカスオリジナルストーリー
「紫陽花忌〜振り返るには遠すぎる〜」
九章〜繚乱その2〜
なぜ、そんなことをしたか……今でもわからない。
『トレジャーキーパー』の異様な巨体を見て、ゆかりは言葉を失くしていた。
黒一色の体躯に無表情な仮面、
そして、手にした刃渡り二メートルの大鎌は、
すべてが死神と呼ぶに相応しい意匠で作られていた。
さらに両肩に拵えたスパイクアーマーが、禍々しい印象を、見る者に与える。
黒賀の『仕事』を行うとき、
その姿で標的(ターゲット)を威圧する効果をも持ち合わせている。
彼はその人形を傘と一緒に庭園へ持ち出し、ゆかりの前で披露してみせたのだ。
「傘」阿紫花がもう一度言うと、ゆかりは無言で、異形の手にした傘を受け取った。
彼女の沈黙は予想できた。
初めて傀儡を見た者は、その異様ぶりに恐怖し、立ちつくすのだ。
その隙に襲い、殺す。……それが、黒賀のやり方だった。
だからこそ……なぜ、彼女に人形を見せたのか、今でもわからなかった。
「確かに返したからな」ゆかりが怯え、沈黙しているうちにと、彼はそのまま背を向けた。
だが、
「ねぇ、アシハナくん」踵を返した彼に、明るい声がかけられた。「見せてよ、腹話術!」
「へ?」思わぬ言葉に足を止め、阿紫花は、彼女に振り向く。
怯えてなどない。
薄いブルーのワンピースに
サマーカーディガンをまとうゆかりは、
怖がりもせずむしろ楽しげに……楽しげに、
『トレジャーキーパー』を眺めていた。
「そんなのしねぇよっ! おまえ、これはな……!」
「えっ、違うの?……」反論しかけた阿紫花に気づき、ゆかりはちょっと考えた。「そっかぁ……、人形劇と腹話術は違うもんね」
「にっ、人形劇だぁ?」返す言葉が浮かばない。今度は、彼が絶句する番のようだ。
「だって……君、人形芝居のヒトなんでしょ?」
「……誰がそんなことを……!」ようやく声をしぼり出し、阿紫花が訊いた。
「遠山さんが教えてくれたんだよ……すごいね。こんなに子供なのに……」
「子供じゃねえよ!」
立て続けての言葉、どこから否定しようか……とにかく、声を荒げて阿紫花は応えた。
「あっ、そうよねぇ……ごめんごめん」微笑みを浮かべながら、ゆかりは『トレジャーキーパー』に近づいた。
手を伸ばし、触れる。
「おめぇ……怖くねぇのか?」
「怖い? どうして?」阿紫花に応えて、ゆかりは静かに微笑む。
それから急に人形の陰に隠れ、そこでゆかりは声を裏返した。「コンニチハ、ボク……太郎クンダヨ♪」
「たっ、太郎くん……?」 傀儡の姿と相容れぬ滑稽な声と言葉に、阿紫花が呆れて黙り込む。
それに気をよくしたのか。ゆかりがもう一度微笑んだ。
そして、続けた。「ボクネェ、アシハナクンノコト……ダ〜イスキ♪」
「えっ?」
「うふふ♪」人形の陰から彼女が笑う。「ねえ、動かしてみせてよ」
その言葉、そしてその瞳には、一片の屈託もなかった。
「あ……ああ」つり込まれるように阿紫花はうなずき、手袋をはめた両手を握りしめた。
『トレジャーキーパー』が、糸から命の息吹を受け、静かに動き始める。
「すごいっ!」
思わぬ拍手に阿紫花は戸惑う。
「台詞は? なんか喋ってよ、ねぇ!」
「だから、だからな……!」状況を思い出して怒鳴ろうと、阿紫花が口を開いたとき、
「……そうだ! ねえ、紫陽花が咲いてるの。見て見て!」
ぐい。
いきなり駆け寄ったかと思うと、ゆかりは、阿紫花の手を引いた。
「ばっ、ばか……放せよっ!」
抗いながら、
それでも手袋を外しながら
彼は言う。
「ほらほら、いいからいいから♪」それに構わず、ゆかりは一気に築山を登っていった。
駆けるスカートの裾が揺れ、ふくらはぎの白さが目についた。
視線を迷わせながら登る阿紫花は、やがて、連れられた高みのてっぺんで立ち止まる。
そこに、一面の紫陽花。
幾房もの、色とりどりの花の茂みが、彼らを迎えていた。
「ね、きれいでしょ? 紫陽花」
少し息を切らせつつ、ゆかりが言った。
「あたし、大好きなんだ……そうだ、紫陽花って漢字で書ける?」
「馬鹿にすんなよ!
……紫の、陽の、花だろ……?」
「私の『ゆかり』もね、紫って書くんだよ……アシハナくんも、紫ってあるんだって?」
「ああ、阿紫の、花だよ」
うなずきながら、阿紫花は
花の咲き乱れる日だまりを見回した。
「阿紫?」
「知らねぇのかよ……狐の妖怪だよ」
「ええっ、アシハナくんって……狐だったの?」
「違うよっ!」
「うふふ……。みーんな紫だって……
……私たち、みんな一緒だね♪」
「……」
まるで聴こえていないように、阿紫花は、黙っていた。
明るい陽射しに輝く紫陽花の花が、
ただ、
風に吹かれて揺れていた。
(一緒なもんですか)
いつしか傘を下ろし、雨に打たれるままで、阿紫花は佇んでいた。
(あの日の、明るく輝く花々は、もはやどこにもありゃしねぇ)
顔を濡らす雨粒が眼の下に集まり、一筋、跡を残して流れ落ちていく。
もし、
もし、よそから見る者がいたら、それは……それは、あるいは彼の涙のように、見えたかもしれない。