6
銛、棍棒、バット、長尺棒。
庭に入ってきた男達は、そのほとんどが得物を手にしている。
そのまわりに、野次馬が集まっていた。
ただならぬ雰囲気であることは、たちまち見てとることができた。
「婆さん、あの坊さんはいるかァ」駐在が老婆に、間延びしたアクセントで訊ねた。
「どうしなすったァ、みんな」と、老婆が庭に降りた。
「あいつはなァ」駐在は言葉を続ける。「本署から、手配書がまわっとるんだよ・・・おととい、仙台で発生した傷害事件の重要参考人なんだァ」
そういって、ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。
ひろげると、凶羅の似顔絵が、なかなかよく似た絵があらわれた。
「そんな・・・あの、坊様が・・・」老婆は、手配書を見て震えだした。
「チッ」凶羅は舌打ちした。
蒼月潮を求めて仙台の街を回ったときに起こしたいざこざが、まだ尾を引いていた。
静かに、庭先に出る。
手配書と、同じ顔・・・その姿を見た人々が、目を見開いた。
「ぎゃっ!」叫んだ駐在が、人々の後ろに逃げる。
そして顔だけ出し、怒鳴った。「オイコラッ、我々と一緒に来てもらおうかァ」
男衆が、凶羅を取り囲む。
長年の間、荒海で鍛えられた屈強の男達である。
凶羅が、口を開いた。「誰が、行くかよ・・・阿呆どもが」
「何だとッ、貴様、抵抗する気か」
「駐在さん、乱暴は・・・」と、とりすがる老婆を、駐在はおしのけた。「しかたねェ・・・みんなァ、頼んだぞ!」
バットをかまえた男が、凶羅に襲いかかった。
振りかざしたバットを、凶羅の蹴りが払い落とした。
驚く男の顔が、拳によって吹っ飛んだ。
それを合図に、男達が凶羅に立ち向かう。
だが、たとえ大勢でも、たとえ得物を持っていても、凶羅の敵ではない。
打ち込まれた銛を、左手で受け、握りしめる。
左足を大きく振り回し、銛の持ち主を薙ぎ倒す。
頭のいい奴が、網を放った。かぶった凶羅の動きが封じられる。
網をつかんだ凶羅が引っぱった。その力の強烈さに、保持できなくなった男の体が宙に舞い、地面に叩きつけられる。
網を振り払った凶羅が、あたりをにらみつける。「どうした、もう終わりかよ」
男達の半数が、庭にのびている。残りの半数は、恐怖にかられ、足をすくませていた。
不意に、村人達がざわめいた。
「ヒゲ源だ、ヒゲ源が帰ってきたぞ!」
人垣をかきわけ、巨漢が姿を現した。
「待ってたぞ、ヒゲ源!」駐在が叫んだ。「この坊さんを、ぶっ倒してくれぇ」
7
ヒゲ源、と呼ばれた男は、その呼び名が示すとおり、顔一面をひげで覆われていた。
髭面もさることながら、とにかく、でかい。
凶羅は、自分が今着ている服の持ち主が、この男であるに違いないと思った。
「おれの・・・服?」低い声、たどたどしい口調で、男がつぶやいた。
つぶやきながらヒゲ源はその左手をあげ、凶羅の顔めがけて張り手を放った。
凶羅は後退し、ぎりぎりに張り手をかわした。
その凶羅に追いすがるヒゲ源が、右腕で胴を打つ。ボディーブローが、鳩尾に命中した。
仙台で受けた傷に衝撃が走る。凶羅は、顔をしかめた。
彼らを取り巻く村人の間で、歓声が上がった。
ヒゲ源はそのままストレートをくりだす。
激痛に身を引く凶羅を狙ったはずだったが、目算を狂わされ、空しくかすめる。
凶羅は、拳を喰らったまま、前へと突き進んだのだ。二人の距離が、縮まる。
驚くヒゲ源の顎に、真下から、凶羅の掌底が炸裂した。
アッパーカットを喰らい、ヒゲ源の巨体がのけぞる。
その体にさらに、痛烈な回し蹴りが命中する。
転がったヒゲ源は、白眼をむいて、気を失っていた。
にやつきながらもあたりを威圧する凶羅に、「動くな!」と、駐在が立ちふさがった。
「ほう」銃を構えた駐在に、凶羅は笑ってみせた。「てめえに、オレが撃てるかな」
「で、でも。に、に、に・・・逃がすわけにはァ・・・」
威嚇のつもりだった。脅せば降参するだろうと、甘く見ていたのだった。
「ホラ、撃ってみろよ」凶羅が、一歩前に出る。
もう、引っ込みがつかない。
最後に銃に触ったのは、いつだったか・・・血の気が引いていくのを感じた。
「よせ、撃つぞ、ホントだぞォ!」指が、引金にかかる。「当たっても、知らんぞぉ!」
「待ってくれ、駐在さん!」その間に、老婆が割り込んだ。
「わっ、婆さん・・・離れろォ!」駐在が叫ぶ。
「うたねえでくれェ・・・この坊さんは、坊さまはなァ・・・」そのまま老婆は、凶羅の体にしがみついた。「悪人なんかじゃねえっ、いい坊さまなんだよォ!」
彼女を外して狙える自信が、駐在にはない。
「坊さまはなァ・・・おれのセガレ夫婦のためにお経をあげてくださったんじゃ!」老婆はなおも、おのれの倍近い凶羅をかばい、その体に抱きついていた。
凶羅の足どりが、止まった。無言のまま、老婆を見おろす。
「どいてくれやァ」駐在が哀願する。「婆さんよォ。どかんと、逃亡幇助の罪になるんだぞォ・・・だから・・・!」
その時、老婆の体が、宙に持ち上げられた。
「ババァ、世話になったな」老婆をわきに降ろした凶羅は、そのままその場にあぐらをかいた。「・・・わかったぜ、来な・・・捕まってやるぜ」
駐在が、拳銃を構えたまま、震える手で手錠を取りだした。
「さっさとせんか!」凶羅は、駐在の手から手錠をひったくり、自ら手首にかけた。
8
駐在所の留置場で、凶羅は夜を迎えた。
物置がわりになっていたのをにわかに片づけたとかで、ひどく手入れの悪い部屋だった。
すえた匂いが、鼻につく。
駐在は、机の上に並べた凶羅の所持品を調べていた。
「これ、何だァ?」独鈷に手をかける。
凶羅は答えない。ただ、留置場の真ん中で瞑想していた。
「・・・まったく、無愛想な坊さんだァ」駐在は、自分にいいきかせるように言った。
「まァ明日には、本署から応援が来るからァ、それまでの辛抱だな」
窓の外を見て、そして、「お、始まったな」と、つぶやいた。
「坊さん、見えるかなァ・・・あれが、舟霊様の夜だァ」留置場の鉄の扉の格子越しに、駐在が話しかけた。「海が、漁火みてえに光ってるだろォ」
駐在の言うとおり、窓から見える沖合の海面が、ぼんやりと光っていた。
数限りない蒼白い光点が、時に明るく、時には弱くなりながら、夜半の海を彩っていた。
見ようによっては、神々しいと、いえるかもしれない。
「本当はァ、プランクトンの発光だとからしいんだがよォ」駐在が光に目をやっていた。「なんでだか・・・毎年この夜だけ光るもんだからァ、村じゃ死んだ人の魂だといって、お祀りしてるんだけどなァ」
「・・・ケッ、何が、舟霊様だか」凶羅がつぶやいた。
駐在が振り返ると、凶羅の、光のない瞳が、海面の輝きを見据えていた。
「てめえにはわからねえだろうが、ありゃ魂でも、プランクトンでもねえ・・・」そして、手錠をかけた両手を格子に置く。「あれは、ただの下等なバケモノよ」
「バ、バケモノ・・・?」駐在が、ギョッとして凶羅を見た。
何をいうかと思ったら・・・。駐在は、机に戻り、椅子に腰掛けた。
息を切らせた老婆と、村の漁師たちが駐在所に飛び込んできたのはその時であった。
「駐在さん!」漁師が叫んだ。「大変だっ、シゲが・・・繁が海に出たッ!」
「何だって?」駐在がとびあがり、拍子で椅子が転がった。「婆さん、そりゃいったい」
「姿が見えねえんで、心配になって港へ行ったら、シゲがァ・・・船を・・・」
「落ち着け、みんな落ち着け」電話の受話器をあげながら、駐在が言い聞かせた。「すぐ海上保安部に連絡すっからァ、みんなも船サ出して、シゲを探してくれやァ」
そういってから、ダイヤルを回す。
しかし、駐在所に集まった漁師たちは、誰ひとりとして動こうとしなかった。
「どうした、みんなァ? 早く港へ・・・」
「駐在さん・・・悪いが今夜はァ、舟霊様の夜だ」誰かが、重々しく口を開いた。「シゲにゃ悪いが、おれたちまで舟霊様の祟りの巻き添えをくっちまう」
「そ、そんなァ・・・お願いだァ、繁を、孫を助けてくれぇ!」髪を振り乱した老婆は、漁師たちに取りすがった。「おれにゃもう、繁しか・・・」
そのまま、涙声をあげながら床に突っ伏した老婆を、漁師たちはただ見つめることしかできなかった。
「あー、うるせえな!」留置場から、凶羅が怒鳴り声をあげた。
9
「泣くんじゃねえよ、ババァ!」凶羅は、泣き崩れたままの老婆に言い放った。
「・・・そんな腰抜けどもに頼ったって無駄だ、おとなしく諦めるんだな」
「腰抜けだとっ!」漁師が言い返す。
「腰抜けじゃなければ腑抜けじゃねえか。てめえらは」凶羅は、留置場の中で笑った。「あんなバケモノを舟霊様なんてあがめたてて・・・口先ばかりで何も出来やしねえ。しょせん、自分が可愛い腰抜けなんだよッ!」
「黙れっ、クソ坊主! お前こそ、牢屋の中にいるだけでねえか」
漁師の反論は、凶羅の嘲笑にうち消された。
「何がおかしい!」
「ケッ・・・テメエのことを棚に上げて・・・これだからバカどもは」笑いをやめた凶羅は、留置場の扉に歩み寄った。「離れてろよ、ババァ」
いうなり、凶羅は、扉に蹴りかかった。
一撃で、鉄板がひしゃげた。
二撃目で、蝶番が曲がった。
そして三撃目で、蝶番が壊され、留置場の扉が蹴破られた。
いくら古びていたとはいえ、鉄製である。
その様を目撃した村人は、言葉もなくうちふるえていた。
「休んでから出て行くつもりだったがよう」そのまま凶羅は、気合とともに両腕に、手錠で縛られた両腕に力を込めた。「気が変わったぜ」
合金製の鎖が飴細工のように延び、ついに、引きちぎられた。
凶羅は、驚愕して青ざめる村人の前を横切り、駐在の机に近づいた。
そして、机に置かれたおのれの所持品、長数珠と独鈷に手をかけた。
「おい!」駐在をにらむ。「オレの法衣はどうした?」
「ひいっ!・・・婆さんが、まだ繕いが終わってねえって・・・家に」
「チッ・・・余計なことを」凶羅は少し黙って、老婆を見た。「ババァ・・・船を出せ。出るぞ」
そのまま、駐在所の出口にむかった。
その凶羅に、巨漢の漁師が立ちはだかった。
「てめえ・・・まだやる気か?」凶羅が睨む。
ヒゲ源だった。ヒゲ源は、凶羅の前で口を開き、たどたどしく言葉を発した。
「ふね・・・オレ・・・だす」
凶羅は、いや、居合わせた村人はヒゲ源を見つめた。
「オレ・・・はり倒したの、あ、あ、あんたがはじめて・・・だから」
「あ、あの・・・坊さん」その横で、駐在が小さなカギを差しだした。「てっ、手錠を、外してくだせえまし」
駐在は、まだ震えながら、頭を下げた。「どうかシゲ・・・繁を、お助けください」
「ケッ、どいつもこいつも・・・」凶羅は、口元をゆがめた。「急げよ」
海の光がいっそう強まっていた。
岬の灯台が、ぐるり、と一回転して、あたりに光の筋を放っていた。
10
”『むつぎり』、こちら保安部です。どうぞ”
「こちら『むつぎり』。現在××灯台東方1マイル地点、通報の子供は見つかりません。・・・このまま捜索をつづけます。どうぞ」
”こちら保安部、了解”
交信を終えると、巡視艇『むつぎり』は船首を沖へと向けた。
月こそ雲に隠れているが、海面のいたるところ、青白い光を発している。
サーチライトの必要もない。
「あ、ありゃァ・・・?」双眼鏡片手の乗員が、何かが浮かんでいるのを見つけた。
艇を寄せさせ、自身はもっと詳しく見ようと甲板に出る。
「水死体だっ!」乗員は叫び、それから鼻をつまんだ。「うわ・・・ひでえ」
海に浮かんでいるのは、かつては人間だったろう。いまは、その面影をとどめないほどに体がふやけ、膨らみ、青白く変色した水死体だった。
『むつぎり』は速度を落とし、しずかに水死体に近づいた。収容するため、甲板の乗員がフックを片手に身をのばす。
突然、水死体が発光した。
ギョッとする乗員の前で、死体が・・・死体のはずなのに・・・ゆっくりと、躯を起こした。
その口に並ぶ鋭い牙に気づいた乗員は、叫びをあげるまもなく、頭部を喰いちぎられた。
青白い光を全身から放ちながら、にゅるり、と水妖は躯を伸ばし、『むつぎり』を見つめた。
胴から下の部分は、蛇のように長く、海につかっている。
腐って崩れかかった顔が、にーっと嗤ったように見えた。
一体だけでは、ない。
気がつくと『むつぎり』は、あまたの水妖に取り囲まれていた。
水妖たちは、『むつぎり』の舷側に手をかけた。
「保安部、保安部っ。こちら『むつぎり』!!」
”はい、こちら保安部です。どうぞ”
「きゅっ・・・救助をっ! 助けてェ・・・」
”『むつぎり』っ! どうした、応答せよ!”
『むつぎり』は、交信をつづけることができなかった。
全長二十数メートルの船体は、水妖によって、乗員もろとも海中に引きずり込まれていった。
11
海面がいたるところ、不気味な光を放っている。
その中を繁は、小舟を進ませていた。
「舟霊様・・・どうか、とうちゃんとかあちゃんにあわせてください・・・」船外機を巧みに操りながら、繁は海面を、海面に輝く光を見つめていた。
この光が魂の輝きなら、きっと、両親の姿を見つけることができるだろう。
その水面が、突然盛り上がった。
「ひっ・・・!」繁はのけぞり、船にしりもちをついた。
海から現れた幾多の水妖は、腐乱した水死体を思わせた。長い胴体を海面に沈めたまま、
小舟の周囲に集まってきた。
一体が、船の後部に手をかけると、船は動かなくなった。
エンジンだけが、空しくうなる。
逃げ場もなく、動けずにいる繁があたりを見回す。
一隻の漁船が、波をかきわけるように迫ってくるのが見えた。
新たな獲物に、水妖たちが群がった。
その水妖が、次々にはじき飛ばされ、海に沈んでいく。
「見つけたぞっ、小僧!」繁は見た。船の舳先に仁王立ちし、長数珠を掲げる巨漢を。
男が・・・凶羅が放つ長数珠が、繁の体にからみつく。
痛さに顔をゆがめる繁だったが、かまわず凶羅は、そのまま手にした数珠の端を力一杯引き、繁の体を漁船にたぐり寄せた。
どう、と、数珠に縛られたまま、繁の体が甲板に落ちる。
「船を返せッ」凶羅が叫ぶ。
操舵室のヒゲ源が、舵を切る。
船を沈めようと、水妖が襲いくる。
凶羅の拳がうなり、それをたたき落とす。
「どけどけぇ、てめえら!」
凶羅は、ほどいた長数珠を振り回し、当たるをさいわいに水妖をなぎ倒していった。
しかし、数が多い。
港の灯りが近い。ヒゲ源は、必死の形相で船を走らせた。
水妖を振り払い、漁船は、どうにか防波堤に接舷した。
ヒゲ源、そして、繁をかかえた凶羅が飛び降り、村めざして走った。
岸壁の向こうに人だかりがしている。様子を見に来た村人だろう。
陸地に上がれば、バケモノも追ってはこれまい。安心してヒゲ源が振り返る。
そのまま、戦慄した。
水妖は、まだ、彼らを追いかけてくる。
蛇を思わせる胴体が、おそろしく長い。
「舟霊様だァっ・・・舟霊様が、お怒りだア!」
「舟霊様の祟りだァ!」
迫る水妖に気づいた村人たちが、悲鳴をあげて逃げ出した。