銛、棍棒、バット、長尺棒。

 庭に入ってきた男達は、そのほとんどが得物を手にしている。

 そのまわりに、野次馬が集まっていた。

 ただならぬ雰囲気であることは、たちまち見てとることができた。

 「婆さん、あの坊さんはいるかァ」駐在が老婆に、間延びしたアクセントで訊ねた。

 「どうしなすったァ、みんな」と、老婆が庭に降りた。

 「あいつはなァ」駐在は言葉を続ける。「本署から、手配書がまわっとるんだよ・・・おととい、仙台で発生した傷害事件の重要参考人なんだァ」

 そういって、ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。

 ひろげると、凶羅の似顔絵が、なかなかよく似た絵があらわれた。

 「そんな・・・あの、坊様が・・・」老婆は、手配書を見て震えだした。

 「チッ」凶羅は舌打ちした。

 蒼月潮を求めて仙台の街を回ったときに起こしたいざこざが、まだ尾を引いていた。

 静かに、庭先に出る。

 手配書と、同じ顔・・・その姿を見た人々が、目を見開いた。

 「ぎゃっ!」叫んだ駐在が、人々の後ろに逃げる。

 そして顔だけ出し、怒鳴った。「オイコラッ、我々と一緒に来てもらおうかァ」

 男衆が、凶羅を取り囲む。

 長年の間、荒海で鍛えられた屈強の男達である。

 凶羅が、口を開いた。「誰が、行くかよ・・・阿呆どもが」

 「何だとッ、貴様、抵抗する気か」

 「駐在さん、乱暴は・・・」と、とりすがる老婆を、駐在はおしのけた。「しかたねェ・・・みんなァ、頼んだぞ!」

 バットをかまえた男が、凶羅に襲いかかった。

 振りかざしたバットを、凶羅の蹴りが払い落とした。

 驚く男の顔が、拳によって吹っ飛んだ。

 それを合図に、男達が凶羅に立ち向かう。

 だが、たとえ大勢でも、たとえ得物を持っていても、凶羅の敵ではない。

 打ち込まれた銛を、左手で受け、握りしめる。

 左足を大きく振り回し、銛の持ち主を薙ぎ倒す。

 頭のいい奴が、網を放った。かぶった凶羅の動きが封じられる。

 網をつかんだ凶羅が引っぱった。その力の強烈さに、保持できなくなった男の体が宙に舞い、地面に叩きつけられる。

 網を振り払った凶羅が、あたりをにらみつける。「どうした、もう終わりかよ」

 男達の半数が、庭にのびている。残りの半数は、恐怖にかられ、足をすくませていた。

 不意に、村人達がざわめいた。

 「ヒゲ源だ、ヒゲ源が帰ってきたぞ!」

 人垣をかきわけ、巨漢が姿を現した。

 「待ってたぞ、ヒゲ源!」駐在が叫んだ。「この坊さんを、ぶっ倒してくれぇ」

 ヒゲ源、と呼ばれた男は、その呼び名が示すとおり、顔一面をひげで覆われていた。

 髭面もさることながら、とにかく、でかい。

 凶羅は、自分が今着ている服の持ち主が、この男であるに違いないと思った。

 「おれの・・・服?」低い声、たどたどしい口調で、男がつぶやいた。

 つぶやきながらヒゲ源はその左手をあげ、凶羅の顔めがけて張り手を放った。

 凶羅は後退し、ぎりぎりに張り手をかわした。

 その凶羅に追いすがるヒゲ源が、右腕で胴を打つ。ボディーブローが、鳩尾に命中した。

 仙台で受けた傷に衝撃が走る。凶羅は、顔をしかめた。

 彼らを取り巻く村人の間で、歓声が上がった。

 ヒゲ源はそのままストレートをくりだす。

 激痛に身を引く凶羅を狙ったはずだったが、目算を狂わされ、空しくかすめる。

 凶羅は、拳を喰らったまま、前へと突き進んだのだ。二人の距離が、縮まる。

 驚くヒゲ源の顎に、真下から、凶羅の掌底が炸裂した。

 アッパーカットを喰らい、ヒゲ源の巨体がのけぞる。

 その体にさらに、痛烈な回し蹴りが命中する。

 転がったヒゲ源は、白眼をむいて、気を失っていた。

 にやつきながらもあたりを威圧する凶羅に、「動くな!」と、駐在が立ちふさがった。

 「ほう」銃を構えた駐在に、凶羅は笑ってみせた。「てめえに、オレが撃てるかな」

 「で、でも。に、に、に・・・逃がすわけにはァ・・・」

 威嚇のつもりだった。脅せば降参するだろうと、甘く見ていたのだった。

 「ホラ、撃ってみろよ」凶羅が、一歩前に出る。

 もう、引っ込みがつかない。

 最後に銃に触ったのは、いつだったか・・・血の気が引いていくのを感じた。

 「よせ、撃つぞ、ホントだぞォ!」指が、引金にかかる。「当たっても、知らんぞぉ!」

 「待ってくれ、駐在さん!」その間に、老婆が割り込んだ。

 「わっ、婆さん・・・離れろォ!」駐在が叫ぶ。

 「うたねえでくれェ・・・この坊さんは、坊さまはなァ・・・」そのまま老婆は、凶羅の体にしがみついた。「悪人なんかじゃねえっ、いい坊さまなんだよォ!」

 彼女を外して狙える自信が、駐在にはない。

 「坊さまはなァ・・・おれのセガレ夫婦のためにお経をあげてくださったんじゃ!」老婆はなおも、おのれの倍近い凶羅をかばい、その体に抱きついていた。

 凶羅の足どりが、止まった。無言のまま、老婆を見おろす。

 「どいてくれやァ」駐在が哀願する。「婆さんよォ。どかんと、逃亡幇助の罪になるんだぞォ・・・だから・・・!」

 その時、老婆の体が、宙に持ち上げられた。

 「ババァ、世話になったな」老婆をわきに降ろした凶羅は、そのままその場にあぐらをかいた。「・・・わかったぜ、来な・・・捕まってやるぜ」

 駐在が、拳銃を構えたまま、震える手で手錠を取りだした。

 「さっさとせんか!」凶羅は、駐在の手から手錠をひったくり、自ら手首にかけた。

 駐在所の留置場で、凶羅は夜を迎えた。

 物置がわりになっていたのをにわかに片づけたとかで、ひどく手入れの悪い部屋だった。

 すえた匂いが、鼻につく。

 駐在は、机の上に並べた凶羅の所持品を調べていた。

 「これ、何だァ?」独鈷に手をかける。

 凶羅は答えない。ただ、留置場の真ん中で瞑想していた。

 「・・・まったく、無愛想な坊さんだァ」駐在は、自分にいいきかせるように言った。

 「まァ明日には、本署から応援が来るからァ、それまでの辛抱だな」

 窓の外を見て、そして、「お、始まったな」と、つぶやいた。

 「坊さん、見えるかなァ・・・あれが、舟霊様の夜だァ」留置場の鉄の扉の格子越しに、駐在が話しかけた。「海が、漁火みてえに光ってるだろォ」

 駐在の言うとおり、窓から見える沖合の海面が、ぼんやりと光っていた。

 数限りない蒼白い光点が、時に明るく、時には弱くなりながら、夜半の海を彩っていた。

 見ようによっては、神々しいと、いえるかもしれない。

 「本当はァ、プランクトンの発光だとからしいんだがよォ」駐在が光に目をやっていた。「なんでだか・・・毎年この夜だけ光るもんだからァ、村じゃ死んだ人の魂だといって、お祀りしてるんだけどなァ」

 「・・・ケッ、何が、舟霊様だか」凶羅がつぶやいた。

 駐在が振り返ると、凶羅の、光のない瞳が、海面の輝きを見据えていた。

 「てめえにはわからねえだろうが、ありゃ魂でも、プランクトンでもねえ・・・」そして、手錠をかけた両手を格子に置く。「あれは、ただの下等なバケモノよ」

 「バ、バケモノ・・・?」駐在が、ギョッとして凶羅を見た。

 何をいうかと思ったら・・・。駐在は、机に戻り、椅子に腰掛けた。

 息を切らせた老婆と、村の漁師たちが駐在所に飛び込んできたのはその時であった。

 「駐在さん!」漁師が叫んだ。「大変だっ、シゲが・・・繁が海に出たッ!」

 「何だって?」駐在がとびあがり、拍子で椅子が転がった。「婆さん、そりゃいったい」

 「姿が見えねえんで、心配になって港へ行ったら、シゲがァ・・・船を・・・」

 「落ち着け、みんな落ち着け」電話の受話器をあげながら、駐在が言い聞かせた。「すぐ海上保安部に連絡すっからァ、みんなも船サ出して、シゲを探してくれやァ」

 そういってから、ダイヤルを回す。

 しかし、駐在所に集まった漁師たちは、誰ひとりとして動こうとしなかった。

 「どうした、みんなァ? 早く港へ・・・」

 「駐在さん・・・悪いが今夜はァ、舟霊様の夜だ」誰かが、重々しく口を開いた。「シゲにゃ悪いが、おれたちまで舟霊様の祟りの巻き添えをくっちまう」

 「そ、そんなァ・・・お願いだァ、繁を、孫を助けてくれぇ!」髪を振り乱した老婆は、漁師たちに取りすがった。「おれにゃもう、繁しか・・・」

 そのまま、涙声をあげながら床に突っ伏した老婆を、漁師たちはただ見つめることしかできなかった。

 「あー、うるせえな!」留置場から、凶羅が怒鳴り声をあげた。

 「泣くんじゃねえよ、ババァ!」凶羅は、泣き崩れたままの老婆に言い放った。

 「・・・そんな腰抜けどもに頼ったって無駄だ、おとなしく諦めるんだな」

 「腰抜けだとっ!」漁師が言い返す。

 「腰抜けじゃなければ腑抜けじゃねえか。てめえらは」凶羅は、留置場の中で笑った。「あんなバケモノを舟霊様なんてあがめたてて・・・口先ばかりで何も出来やしねえ。しょせん、自分が可愛い腰抜けなんだよッ!」

 「黙れっ、クソ坊主! お前こそ、牢屋の中にいるだけでねえか」

 漁師の反論は、凶羅の嘲笑にうち消された。

 「何がおかしい!」

 「ケッ・・・テメエのことを棚に上げて・・・これだからバカどもは」笑いをやめた凶羅は、留置場の扉に歩み寄った。「離れてろよ、ババァ」

 いうなり、凶羅は、扉に蹴りかかった。

 一撃で、鉄板がひしゃげた。

 二撃目で、蝶番が曲がった。

 そして三撃目で、蝶番が壊され、留置場の扉が蹴破られた。

 いくら古びていたとはいえ、鉄製である。

 その様を目撃した村人は、言葉もなくうちふるえていた。

 「休んでから出て行くつもりだったがよう」そのまま凶羅は、気合とともに両腕に、手錠で縛られた両腕に力を込めた。「気が変わったぜ」

 合金製の鎖が飴細工のように延び、ついに、引きちぎられた。

 凶羅は、驚愕して青ざめる村人の前を横切り、駐在の机に近づいた。

 そして、机に置かれたおのれの所持品、長数珠と独鈷に手をかけた。

 「おい!」駐在をにらむ。「オレの法衣はどうした?」

 「ひいっ!・・・婆さんが、まだ繕いが終わってねえって・・・家に」

 「チッ・・・余計なことを」凶羅は少し黙って、老婆を見た。「ババァ・・・船を出せ。出るぞ」

 そのまま、駐在所の出口にむかった。

 その凶羅に、巨漢の漁師が立ちはだかった。

 「てめえ・・・まだやる気か?」凶羅が睨む。

 ヒゲ源だった。ヒゲ源は、凶羅の前で口を開き、たどたどしく言葉を発した。

 「ふね・・・オレ・・・だす」

 凶羅は、いや、居合わせた村人はヒゲ源を見つめた。

 「オレ・・・はり倒したの、あ、あ、あんたがはじめて・・・だから」

 「あ、あの・・・坊さん」その横で、駐在が小さなカギを差しだした。「てっ、手錠を、外してくだせえまし」

 駐在は、まだ震えながら、頭を下げた。「どうかシゲ・・・繁を、お助けください」

 「ケッ、どいつもこいつも・・・」凶羅は、口元をゆがめた。「急げよ」

 海の光がいっそう強まっていた。

 岬の灯台が、ぐるり、と一回転して、あたりに光の筋を放っていた。

10

 ”『むつぎり』、こちら保安部です。どうぞ”

 「こちら『むつぎり』。現在××灯台東方1マイル地点、通報の子供は見つかりません。・・・このまま捜索をつづけます。どうぞ」

 ”こちら保安部、了解”

 交信を終えると、巡視艇『むつぎり』は船首を沖へと向けた。

 月こそ雲に隠れているが、海面のいたるところ、青白い光を発している。

 サーチライトの必要もない。

 「あ、ありゃァ・・・?」双眼鏡片手の乗員が、何かが浮かんでいるのを見つけた。

 艇を寄せさせ、自身はもっと詳しく見ようと甲板に出る。

 「水死体だっ!」乗員は叫び、それから鼻をつまんだ。「うわ・・・ひでえ」

 海に浮かんでいるのは、かつては人間だったろう。いまは、その面影をとどめないほどに体がふやけ、膨らみ、青白く変色した水死体だった。

 『むつぎり』は速度を落とし、しずかに水死体に近づいた。収容するため、甲板の乗員がフックを片手に身をのばす。

 突然、水死体が発光した。

 ギョッとする乗員の前で、死体が・・・死体のはずなのに・・・ゆっくりと、躯を起こした。

 その口に並ぶ鋭い牙に気づいた乗員は、叫びをあげるまもなく、頭部を喰いちぎられた。

 青白い光を全身から放ちながら、にゅるり、と水妖は躯を伸ばし、『むつぎり』を見つめた。

 胴から下の部分は、蛇のように長く、海につかっている。

 腐って崩れかかった顔が、にーっと嗤ったように見えた。

 一体だけでは、ない。

 気がつくと『むつぎり』は、あまたの水妖に取り囲まれていた。

 水妖たちは、『むつぎり』の舷側に手をかけた。

 「保安部、保安部っ。こちら『むつぎり』!!」

 ”はい、こちら保安部です。どうぞ”

 「きゅっ・・・救助をっ! 助けてェ・・・」

 ”『むつぎり』っ! どうした、応答せよ!”

 『むつぎり』は、交信をつづけることができなかった。

 全長二十数メートルの船体は、水妖によって、乗員もろとも海中に引きずり込まれていった。

11

 海面がいたるところ、不気味な光を放っている。

 その中を繁は、小舟を進ませていた。

 「舟霊様・・・どうか、とうちゃんとかあちゃんにあわせてください・・・」船外機を巧みに操りながら、繁は海面を、海面に輝く光を見つめていた。

 この光が魂の輝きなら、きっと、両親の姿を見つけることができるだろう。

 その水面が、突然盛り上がった。

 「ひっ・・・!」繁はのけぞり、船にしりもちをついた。

 海から現れた幾多の水妖は、腐乱した水死体を思わせた。長い胴体を海面に沈めたまま、

小舟の周囲に集まってきた。

 一体が、船の後部に手をかけると、船は動かなくなった。

 エンジンだけが、空しくうなる。

 逃げ場もなく、動けずにいる繁があたりを見回す。

 一隻の漁船が、波をかきわけるように迫ってくるのが見えた。

 新たな獲物に、水妖たちが群がった。

 その水妖が、次々にはじき飛ばされ、海に沈んでいく。

 「見つけたぞっ、小僧!」繁は見た。船の舳先に仁王立ちし、長数珠を掲げる巨漢を。

 男が・・・凶羅が放つ長数珠が、繁の体にからみつく。

 痛さに顔をゆがめる繁だったが、かまわず凶羅は、そのまま手にした数珠の端を力一杯引き、繁の体を漁船にたぐり寄せた。

 どう、と、数珠に縛られたまま、繁の体が甲板に落ちる。

 「船を返せッ」凶羅が叫ぶ。

 操舵室のヒゲ源が、舵を切る。

 船を沈めようと、水妖が襲いくる。

 凶羅の拳がうなり、それをたたき落とす。

 「どけどけぇ、てめえら!」

 凶羅は、ほどいた長数珠を振り回し、当たるをさいわいに水妖をなぎ倒していった。

 しかし、数が多い。

 港の灯りが近い。ヒゲ源は、必死の形相で船を走らせた。

 水妖を振り払い、漁船は、どうにか防波堤に接舷した。

 ヒゲ源、そして、繁をかかえた凶羅が飛び降り、村めざして走った。

 岸壁の向こうに人だかりがしている。様子を見に来た村人だろう。

 陸地に上がれば、バケモノも追ってはこれまい。安心してヒゲ源が振り返る。

 そのまま、戦慄した。

 水妖は、まだ、彼らを追いかけてくる。

 蛇を思わせる胴体が、おそろしく長い。

 「舟霊様だァっ・・・舟霊様が、お怒りだア!」

 「舟霊様の祟りだァ!」

 迫る水妖に気づいた村人たちが、悲鳴をあげて逃げ出した。

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