からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その1 

 

 元治二年二月二十三日は、新暦で云うと三月二十日にあたる。

 春と云うべき頃であるが、京の街にはその朝、寒の戻りの冷え込みが立ちこめていた。

 当時、坊城通のあたりは京洛の西の郊外である。

 百姓家や郷士屋敷が建ち並ぶ田園を、南に行けば島原、北へ行けば壬生である。

 その道を、二人きりの花魁道中が行く。

 払暁。

 日こそまだ昇ってはおらぬが、すでに、あたりは明るくなっていた。

 夜明け前の灰色の空気が、二人の吐く息を白く浮かべる。

 花魁は、高下駄を履いた脚で、という独特の足取りを踏み、ゆっくり前へ往く。

 その手は、前を歩く男の肩に添えるように乗せられていた。

 総髪を束ねた頭に袴姿のその男は、大小を腰に佩き、背には、大きな葛籠を背負っていた。

 縦に長い、大きな葛籠であった。

「おや……」

 坊城通を北から下ってきた、胴着姿の侍が立ち止まった。

 手には木刀を持っている。

 近在の郷士が朝稽古の行き帰り、といういでたちである。

 この新選組の幹部と云われても、信じるものは少なかろう。

 侍は、田舎道を歩く二人の異様さに言葉を詰まらせた。

 この二人、いつもと違う。

「あ……」

 行き過ぎようとしたときに意を決し、侍は口を開いた。
《才が》の先生じゃありませんか。いったい、どちらへ?」

 足が止まる。

「井上さんでしたか二人のうち、男の方が云った。

 軽く会釈をかわすが、男は、いまだ無表情である。

 そのまま男は井上と呼んだ侍に目を向け、そのいでたちに目を留めた。

「ご覧のとおり、その……野稽古に出るんですじゃ」

 姿を見られたのをきっかけにし、訊かれもしないのに、井上は自ら口を開いた。

「……なんか、居たたまれませんでなぁ……」

 月代の部分を掻きながら、続けた。

 それから、思い出したように訊ねた。「そうじゃ……永倉君を見ませんでしたか? あいつも出掛けたはずなんじゃが」

「さあ……」男は首を振る。

 表情に変化がない。

 知らない、というより、関心がない、という風だった。

 いつもと違う。

 もっと、気さくな男であり、女であった。

 世間話をすれば、少しは和らぐと思ったが。

「いったい、あんた方……何をしておるのかね」井上が続けた。「こんな朝っぱらから奥さんまで……」

「身請けにりまする

 男に替わって応えたのは女の方であった。 

 肌が、白い。

 白粉に紅の厚塗りという当時の化粧術に拠らない、白い、透きとおった素肌に、絢爛の打掛をまとい、江戸の遊女風に帯を前に結んでいる。

 髪は、《立兵庫》と呼ばれる花魁独特の結い方である。

 髷の一部が左右に分かれ、扇のように左右に広がっている。

 鼈甲の長簪を幾本、それに櫛を差していた。

 頭をかすかに動かして、目を細め、流し目気味に井上を窺った。

「お、奥さん……いや」

 見るのは初めてではないが、井上は、その姿に息を呑んだ。「……《あやかし太夫》でござったかな」

 二人は応えなかった。

「それでは、これにて」

 それだけ云って、歩き出した。

「はあ……それでは」

 思わず頭を下げて見送った井上だったが、

「……まさか!」

 やがて、思い直した。

 すでに、二人は遠い。

 いったいどれだけぼーっ見送っていたのか。彼は自問しながら、去っていく二人に叫んだ。

「無茶じゃよ! あんた方、たった二人で新選組に殴り込むつもりか!」

 駆けて、無理にでも引き留めようかと、迷った。

 とりあえず、もう一度、叫んだ。「そんなことしたって山南さんは助けられんぞ!」

 叫びながら思っていた。

 ……彼らなら、あるいは……。

 日が、昇ろうとしていた。 

 

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