からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その2 

 

 島原。

 その歴史は、天正年間に豊臣秀吉の裁許によって開設されたことにまで遡る。

 幕末の頃、

 島原は、京では祇園に並ぶ一大歓楽街であったという。

「ねぇーえ、センセ?」

「ん? どうした。どっか悪いのか?」

「胸どす」

「え?」

胸。おっぱいのあたりが痛むんだよォ……ほォら、よっく見ておくれやす」

「そうか。どれどれ……んー……」

 センセと呼ばれた男は、四十に手の届く年頃だろう。

 総髪を後ろに束ね、白衣をまとった姿で医者とわかる。

 ただし、白衣の下は袴姿の武士の身なりであり、腰に脇差をしている。

 見浦流目録腕前を知る者は、少ない。

 骨太に角張った顔立ちであり、健康的な光を宿した瞳が、見る者に好印象を与える。

 男の名は成瀬正二郎。

 才賀正二と正式に名乗るのはこれより数年後のことである。

 不死者《しろがね》となってから、すでに二十三年が経っていた。

 午後、そろそろ日が暮れようか、という頃である。

 その日は、置屋への往診だった。

 ここでいう《置屋》とは、芸妓を抱えるいわばプロダクションである。

 求めに応じて、客が遊ぶ《揚屋》や《茶屋》へ芸妓を送る。

 江戸吉原ではすでに揚屋制は廃れたが、それが、島原に代表される京都花街のシステムだった。

 正二郎は自ら、置屋の遊女たちの健康診断を行っていた。

 彼女らの仕事のない昼間、それぞれの置屋を回る。

「特に悪くはないようだな。今も痛むか」

「あのな、センセコト考えるときゅぅぅぅって痛なってきますのや」

「なるほど、それじゃ常時痛むわけじゃないんだな」

「それだけやおまへん、体が火照ってきますんえ」

「熱か……風邪かもしれんな、口を開けて」

 島原の廓内中之町に居宅を設けたのが先代の成瀬正二郎、
二十年ほど遡る弘化年間の頃と伝えられる。

 先代と云ったが、実は同一人物である。

「……なぁセンセ? 見るだけじゃわかりゃしませんやろ? 触らはって診てぇな」

「ああ、触診ね……どうだ、痛むか」

「あんっ……センセ、どうぞもっとお強う……」

「そこまで力は入れんでもわかるよ……ここはどうだ」

「ああっ!……あっ、ああはぁ……ん……」

「痛むか?」

「センセ、お願い……うちを、うちのコト……」

「痛みはないんだな?」

「……」

「胸は大丈夫だが、少し熱っぽいようだ。あるじに話してやるから一日休むといいだろう」

「う……」

《しろがね》は、五年に一つしか歳をとらない。

 周囲の人物と交わるには、少しずつ、歳をとっているよう変装しなければならない。

 そして、年をとりすぎた。

《先代》夫婦が高齢を理由に故郷の長崎に隠棲し、
代替わりとして今の正二郎が妻と入居したのは、一昨年の秋のことであった。

 蘭方医学を修めたという腕は確かで、人当たりもよく、
遊廓の男女への治療も分け隔てなく行うと評判の医師であった。

おんなたちは大丈夫だ」薬箱を手早くまとめ、小脇にしながら正二郎は置屋の主人に云った。「そういえば、明里がいないな」

「へえ、親元へ帰しとります……なんぞ、急な使いがありましてな」

 主人がそう応えると、懐から小粒銀を取り出し紙に包み、正二郎に差し出した。「いつもすんまへん。これ、気持ちどす」

 薬礼だ。

「いや」正二郎は断った。「頼まれもせんのに押し掛けてるんだ。金は取れないよ」

あかんっ、あきまへん……先生のお陰で病気する子もおらんよなったんでっせ。島原じゅう、みんなよぉセンセに足向けて寝れまへんわ。こんくらいはせんと」

「しかし……」

「それにほら」応えようとした正二郎を、主人が遮った。「相変わらず貧乏人からは一文も取っとらんのでっしゃろ? そン足しにでも」

「そうか……では」正二は包みを受け取り、中を改めた。「これはいかん、もらいすぎだ」

「余った分は、奥方様に何ぞ買うてくんなはれ」

「……すまないな」

 正二郎は微笑しながら包みを懐に収める。

「あらセンセぇ……もう帰らはるん?」

 さっき診察した芸妓だった。

 草履をはく正二郎の背後にすり寄り、声を掛けた。

「ああ」うなずく。

寂しいなぁ。もっといろいろ……うちのこと、診てええんよぉ……?」

「次の診断は来月だ」正二郎が玄関に立った。「もし具合が悪くなったら、中之町の家に使いをよこしなさい」

 そして、出ていった。

「……ふんっ、なにさイケズ! ニブチン!」

 その背を見送って、云った。「うちの気ぃも知らんと」

「あのセンセは無理や。初瀬はん」別の妓がなだめた。「診察に夢中であんたらの手練手管眼ぇ入ってへんわ」

「……」初瀬と呼ばれた芸妓がそっぽを向く。

「まして、正二センセはアンズ姐はんしか見えてへんさかいな」

「せやかて、そこがええやないの……そンな一途な御方、振り向かせてみとなるやない」

あきれた。あんた……アンズ姐はんに張りあう気?」

「そりゃ、姐はんには叶わん思けど……」

「けど、ええ男やからなぁ」別の妓も云った。「壬生浪みぶろのアヅマエビスどもよりよっぽどええわぁ」

「こらこら、アヅマエビスなんて云うたらあかん」横から主人が割り込んだ。「壬生の新選組も今は大事なお客様やさけな」

「そや、新選組にもええ男は居らはるえ」

「そやな。明里姐はんかて……」

「……そういや姐はん、大丈夫やろかな……」

「ぶるっ、冷えてきたなぁ……お香はん、早よ火ィ起こしてぇな」

 

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