からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜」
その3
「ただいま」
中之町。
土塀と大門に囲われた島原の表通りである。
揚屋、置屋が並ぶ通りに面した二階屋が、正二郎の家である。
独特の格子窓を持つ、いわゆる町屋である。
《先代》の正二郎が、潰れた置屋を譲り受け、居宅兼診療所に改装した。
玄関脇の行灯に《才が》と書いてある。
入口の障子戸を開き、上がる。
京の町屋は《うなぎの寝床》と綽名されるとおり、間口が狭く、奥深い。
土間を隔ててすぐ先に、板敷の待合室がある。
「あら、おかえりなさいませ」
奥から妻の声がする。
間もなく、姿を見せた。
妻の名はアンジェリーナ。
五年に一度しか歳をとらない《しろがね》アンジェリーナは、普通の人間の満年齢に換算すると二十二才になる。
長崎遊女と出島のオランダ商人に生まれたハーフ、ということになっていた。
珍しいが、全くない例でもない。
《先代》の正二郎の妻と同じ姿、同じ名を持つ女として、島原で二度目の冬を迎えていた。
もちろんそれは、不死者《しろがね》であることをカモフラージュしてのことであるのは、夫と同じであった。
当初、《先代》を知る廓の古老たちがいぶかりこそしたが、それも
《異人の姿じゃわしらに見分けがつかんのだろうな》
ということで落着した。
そして、夫同様に優秀な女医であるほか、何くれとなく島原の遊女らの面倒を見る態度が街の人々の信頼を得て、今日に至っている。
いつしか、アンジェリーナという外国名に慣れない町の人々から、
《アンズ》と呼ばれるようになった。
アンジェリーナを追うようにして、声がした。
「先生、お邪魔してますよ!」
狭い家にも関わらず、必要以上に大きな声だった。
待合室には、患者とは思えない数人の武士が座り込んでいる。
頬の張った顔をした大柄な男が、奥から正二郎に手を振った。
無造作に伸ばした月代といい、荒っぽさの感じられる態度といい、近頃京に出没する尊攘浪士を彷彿とさせるが、羽織袴の身なりはそれなりにいい。
正二郎は、男の羽織に目をやった。
好んで着ている浅葱色のだんだら染めではない。
隊服を着てないということは、今日は非番だろうか。
「いらっしゃい、原田さん。今日はなんだい?」応えて云った。「御用改めなら残念だな。今日は患者は一人もいない」
「勘弁してくれってよ、先生」男は手を振った。
頬が張り、口が大きい。
笑うと眼が細くなり、人好きのする表情を見せた。
この男こそが、泣く子も黙る新選組副長助勤、原田左之助である。
二年前、文久三年の冬。
《当代》の正二郎夫婦がようやく島原に落ち着いた頃、診療所に重傷を負った浪人が担ぎ込まれた。
どこの出自で、何という名前だったのか、それは知らない。
ただ、血刀を携えその男を追ってきた新選組の一団を率いていたのが、この原田であった。
先頭に立ってこの家に踏み込もうとした原田と玄関先で押し問答になり、
《誰であろうと患者は守る、それが医者の使命だ》
と譲らずに追い返し、負傷した浪士を治療し、洛外に脱出させたのだった。
それをきっかけに不逞浪士の協力者、と睨まれたこともあったが、主義主張に関わりなく治療を行い、時には新選組の負傷者も治療する正二郎の姿勢が、次第に理解されていった。
あの時、正二郎に槍を突きつけた原田でさえ、今はこうして
《アンズ先生よぉ、深爪しちまったんだ。診てくれよ》
《あれ? 今日は奥さんいねぇの?……せっかく伏見で面白ぇ物見つけてきたのによ》
等と云っては、何かと訪れるまでになっている。
で、今日はというと。
「……今日は療治に来たのよ」
「治療?」
「おうとも」原田はうなずいた。「実はな先生、先生の奥方のことを考えるとこう……胸がきゅううって締めつけられるように痛むんだな」
「まあ」奥からアンジェリーナが覗き込み、微笑する。
正二が呟いた。「また胸か……何かの流行り病かな」
「えっ?」
「いや、こっちのことだ。……お、平さんも一緒だったのか」
「こんちは、先生」
「もしかすると、あんたも胸か?」
「それもあるがな」
原田の隣に二人の武士が座っていた。
ひとりは知っていた。副長助勤、藤堂平助。
伊勢の藤堂公のご落胤と自称するだけはあり、隣の原田よりはそこそこ整った顔立ちをしている。
だが、池田屋事件で負った刀傷の痕が一筋、額から鼻の脇にわたって大きく走っていた。
この傷も、正二郎が縫合した。
三条小橋の旅籠での争闘も、もう先年の夏のことである。
正二郎は、三人目の男に目をやった。
このひとりは、初めて見る顔だ。
さきの二人よりも年上だろう。それなりの格好をしているのだが、雰囲気として所帯じみた……悪く云えばしょぼくれた、初老の貧乏侍という印象の男だった。
「こちらは……」
正二郎が訊ねるや否や、男は丁寧に手をついた。
「それがし、会津中将御預新選組副長助勤、井上源三郎でござる……何卒、お見知りおきを」
口調がどこか間延びしている。
「壬生で幾度かお目に掛かってございますが、ご挨拶は初めてでござるな」
「あぅ、いや……これはどうも……」つられて、正二郎も両手をつく。
云われると、覚えがあった。
壬生寺で、近郷の子供と遊ぶことがある。
その門前を竹刀を抱えて通り過ぎていく姿を見たことが幾度かあった。
沖田総司がそばにいたら、必ず、
《おやおじいちゃん、またこっそり野稽古ですか!》
と呼びかけていた。
すると、ばつの悪そうな顔をして、沖田を睨みつける。
だいぶ後になってその話をすると、井上は
《いやあ、わしはヤットウの腕がいまいちでしてなぁ》
と頭を掻いて、
《屯所で稽古すると恥をさらすことになりますので、
見つからぬように野稽古に出てますのじゃ。
それを知ってて総司の奴め、あんな大声で……》
と、気恥ずかしそうに語ってくれた。
「いーんだよ源さん、そんな挨拶ぁ」隣の藤堂が口を開いた。「ここの先生は、堅ッ苦しいのが苦手なんだってよ」
「そうですよ。ここは島原、侍も町人もない。ま、楽にしてください」正二郎は手を上げた。
「そうですか……いや、実はわしも、こういうのは性に合いませんでしてなぁ……」
井上は頭を掻いた。
月代は剃っていたが、
手入れが悪いのか、
無精髭のように伸びていて、
それが貧相な見てくれを増長させている。「どうぞ、よろしく」
「こちらこそ」正二郎は軽く頭を下げた。「申し遅れました。成瀬正二郎です」
「しょうじ……ろう? 正二先生、と皆は云うてるようですが……」
「縮めて正二と呼ばれてますがね。どちらでもいいですよ」
「そうですか……」井上はうなずいた。「そういえば、表には《才が》と出てましたが、ありゃ屋号ですか?」
戸口に掲げた行灯の事を云っている。
暗くなる前に火を灯そうか、と正二郎は思った。
「まぁ、屋号と云やぁ屋号だな」
代わって応えたのは原田だった。
「こんな小唄になってんだぜ、源さん」藤堂がいきなり歌い出した。
「《近江儀右衛門ひろせ小笹や》」
原田がソレ、と合いの手を入れた。
調子が出たのか、吟ずる藤堂の抑揚がいっそう強まった。
「《からくりのぉ〜
才がぁ集ひしぃ〜
中之町ぉぉぉ〜〜》」
「……なんじゃ、そりゃ?」
不思議そうな顔をした井上の脇に、細い手が伸びた。
「おっ、奥方どの……これはどうも」
「幸田近江さま、田中儀右衛門さま、
そして笹屋町の広瀬淡窓先生、
京に名高き時計職人や蘭学者でございます」解説を入れたのはアンジェリーナだった。
彼女は、井上の前に出された湯飲みが空になっているのを確認し、下げる。
「おお、からくり儀右衛門じゃな。それは聞いたことはあるぞ」
「先生のご趣味がからくり細工作りってのぁ話したよな」と、原田が続けた。
「この先生のご先代様がな、またからくり作りの職人だったらしくてよ、あちこちからそういうお仲間が集まってたんだってよ……そうでしたよね、奥さん」
うなずきながらアンジェリーナは、他の二人からも手早く湯飲みを回収している。
「で、誰云うとなく《才が》と呼ぶようになっちまったんだよ」
云い終えると原田は、待合室の一隅に置かれた和時計に目をやった。「ほら、あれも正二先生が作ったそうだぜ」
「手伝っただけだよ」正二郎が補足する。「作ったのは儀右衛門さんだ」
儀右衛門さん、と云って、まずいと思った。
この自鳴鐘を作ったのは嘉永四年、今から十年以上昔のことだ。
《当代》の正二郎は、田中儀右衛門と面識がない。
それを、しかも《儀右衛門さん》と知り合いのように呼んでしまった。
「まあ、似たようなもんだ」幸い、原田たちは気づいてないようだった。
彼らが目をやった先、《万年自鳴鐘》が、寡黙に時を刻んでいた。
内蔵するゼンマイの、厚手の真鍮板を加工するのに
正二郎の技術が役に立っている。
「さしづめ《からくりの 才が集ひて 才がとなす》ってとこだな」
「お、巧いこと云うね。平さん」顔を戻して原田が云った。
「そういえば、近頃は来てねぇみたいだな。からくりの先生方は」
「コワモテの侍が出入りするようになったからなぁ」正二郎より先に藤堂が応えた。
「不逞浪士でもうろついてんのか? 俺が追っ払ってやるぜ」
「是非そうしてやっとくれ、左之さん」
二人の会話を聞きつつ、正二郎はもう一度、時計に目をやった。
耳を澄ますと、内部機巧の駆動音が聞こえてくる。
外は、そろそろ賑わう頃だろう。
窓の向こうから、表の通りを行き来する客や芸妓の声が、時計の音に重なった。