からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その6 

 

 並べ立てられた燭台の多さが目を引いた。

 角屋が営業を始めたのは寛政の頃と伝えられる。

 百年近くの間、夜ごとに繰り返される宴席に、
幾万本の蝋燭が灯されてきたことだろうか。

 そんな事を考えながら、正二郎は広間に入った。

「成瀬正二郎です、遅くなりました」

 《松の間》と称される大座敷は広さ四十三畳。

 角屋でも最も広い部屋である。

 迎えに来た連中は先に行かせた。

 診察の帰りである。診てきた妓たちの状態を、簡単に書きまとめる時間が要った。

 それから身支度を整え、少し遅れて角屋に着いた。

 店の者は正二郎を知っている。玄関先から何も云わず、この部屋へ案内された。

 設けられた卓席は二十近く。すでに、膳と酒とが運ばれている。

 そのほとんどに、すでに着座していた。

 これが……新選組か。

 独特の、浅葱色の羽織を着た者は、いない。

 だが、

 居並ぶ者たちのいずれも、それぞれ、幾たびか死地をくぐり抜けてきた者ばかりであるのだろう。

 正二郎は、集まった者たちを見回した。

「よお、先生!」

 原田が手を上げて迎えた。

 藤堂、井上がいた。

「主役のおでましだね。待ってましたよ」

 手を叩いた男がいた。

 待っていた、と云ったが、すでに手にした盃で飲み始めている。

 江戸ッ子を自称するだけあって、喋り方も呑み方も快活で、一種の明るさがある。

 この男が、副長助勤の永倉新八。

 上座に近い席に、副長の山南敬助もいた。

 いや、原田の言によると《総長》という肩書きになったという話だったか。

 他に見た顔も並んでいる。

(沖田君はいないな)

 副長助勤、沖田総司。

 は、この宴にはいなかった。

 監察の山崎丞もいない。

 京の治安維持に働く新選組である。

 さすがに、幹部勢揃いとはいかぬのであろう。

 軽く原田たちに黙礼してから、正二郎は、床の間の方の二人の男に目をやった。

 一人は……局長・近藤勇。

 顎の角張った顔つきに鋭い目、大きな口。

 それらが、武骨を体現しているようだ。

 正二郎の視線に気づき、ほう、という顔をした。

 近藤も自分を窺っているのだろう。そう思った。

 もう一人の、総髪の武士には見覚えがない。

 副長の土方歳三か、と思いもしたが、たぶん違う。

 おそらく、新規加入したという参謀の伊東甲子太郎だろう。

 それに列するのが、この度江戸から加盟したという門下の隊士たちであろうか。

 そういえば、正二郎は土方の顔を知らなかった。

 池田屋の夜、土方は逃亡者探索のため現場周辺に残り、正二郎が帰るまで屯所に戻らなかった。

 その後幾度となく屯所に出入りしたが、行き違いが多く、ついに顔を会わさぬまま今日まで至っている。

 おそらく土方とは、今宵も会えないのであろう。

「正二先生っ、先生よぉ!」

 藤堂の呼ぶ声で我に返った。

「あ……」

「ぼさっと立ってないで。主役はそっちだよ」

 あわてて目をやると、上座に並んだ二席のうち、一つが空いている。

「まさか、あれに……」

「そうですよ、が始めらんねーよ」

「あんたはもう飲んどるじゃないかね、永倉君」

「これは毒味ですって」

「毒は入ってましたか、新八っつぁん」

うーん……もうちょっと呑まねぇとわからねぇや」

「とにかくほら、先生……」

「こら君たち、賓客に向かってなんだねその口は」

 低い声だった。

 上座中央の近藤はそう云って原田をたしなめると、自ら立ち上がり、招き寄せた。「貴殿が成瀬正二先生ですな、どうぞこちらへ」

 この男が、池田屋へ自ら先頭に立ってり込んだ。

 武張った印象はあれど、その物腰は柔らかい。

 呼ばれるままに正二郎は、近藤の隣の席に着く。

「ご挨拶は初めてでしたな、近藤局長」座ってから、彼は近藤に向き直った。

「この度は、お招きいただきまして……」

「まあ、固っ苦しい挨拶は抜きにしましょう」近藤は云った。「前から一献、と思ってました。今宵は大いに飲んでください」

 して、いた。「おおい、女たちを呼んでくれ」

 返事があってしばらく、襖が開き、芸妓たちが姿を見せた。

「こんばんわぁ」

「おばんどすぅ」

「よおっ、待ってたぜ!」原田が歓声を上げた。

明里がいませんね、山南さん」永倉の声がする。「どうしたのかな」

 縁側から大座敷に入った芸妓たちは、いったんその場に並んで座ると、客に深々と礼をする。

 開けられたままの襖の向こうには、白砂めた主庭が広がっている。

 植えられた大きな松の木は《臥龍松》と云う。

 枝ぶりが、龍が臥すように低く、広い。

 篝火が焚かれ、庭を照らし出している。

 艶やかに飾った遊女たちが、その風景を背に並んでいる。

「ほう……」

 誰もが息を呑む。

 正二郎さえも。

 ……客として角屋を訪ねたのは始めてである。

 蝋燭の火が、ゆらぐ。

 店の若衆が火鉢をいくつも持ち込んだ。

 外からの寒気がこれで和らいだ。

「さあ、お前たちも始めてくれ」芸妓たちへ原田が声を掛けた。

 女たちが顔を上げる。

 客を一瞥したかと思うと、互いに顔を見合わせた。

 その視線が、一斉に正二郎に集まった。

「正二センセやないのぉ!」

うれしーっ、うちのお客に来てくれはったんやぁ」

 さきほど診察に訪れた置屋《香月や》の妓たちである。

 正二郎は苦々しく笑う。

「これは先生、隅に置けませんなぁ」近藤が笑った。

 宴の始まりである。

 

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