からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その8 

 

「ああんっ、初瀬はんだけ狡い!」

 別の妓の声がする。「センセっ、うちもお酌させてぇな!」

「いや、ダメだ、それはいかんっ……!」正二郎は身を起こした。「初瀬ッ、だいたいお前は胸が……」

「そうどす正二センセ、こない熱うなっておますえ」

「あっこら、何をする……その手を放さんか!」

「ははは、先生も隅に置けませんな」近藤が笑った。

 そして、隣の芸妓に云った。「しからば深雪、お前にはわしが酌をしてやろう」

 すでに、その首に近藤の腕が回っていた。

「やぁん」芸妓が応える。

俺にも飲ませてくれよ、作法なんだろ!」原田が続く。

「さあさセンセ、おひとつどーぞ」

「いやぁん、うちが先やで」

いいぞ先生っ、ぐーっとあけてやれ」

「……ああんっ、近藤せんせぇ……」

「おい、誰か俺にもっ」

あきらめな。左之さん」井上が黙って猪口をあおった。

 その時。

「ごめんやす」

 と、男の声がした。

 庭からだ。

「《香月や》でおます」

 初瀬が身を傾け、覗き込んだ。

 そして、云った。「あら、おとうはん」

 先ほど正二郎が診察に訪れた、あの置屋の主人であった。

 いつの間にか縁側に座り、深く頭を下げている。

「おい香月屋、明里はどうした!」永倉が声を張り上げた。「山南さんが待ってるぞ」

「いや……それなんどすが……」顔をまっすぐに上げ、居住まいを正す。

 遊女たちの元締めには珍しく生真面目そうな男であり、実際そうである。

 主人は上座の近藤に深く頭を下げ、黙礼した。

 そして、話し始めた。

「新選組の皆様には贔屓にしてもろとりまして、ほんま、ありがたく存じております。えー、本来どしたら、うちの明里がこちらに罷り越しますとこどすが、いえほんま、近藤先生、そして伊東先生をはじめ新選組の皆様にはほんま、日頃からお世話になっておるところでおますが」

「要点だけを話したまえ」
誰かが野次を飛ばした。

「すんまへんっ」主人はまた平伏した。「えー、その、要するに明里ですが、こちらへ来る直前に、急な病気を起こしましてよって、要するに替わりの太夫の支度を急遽整えまして、こうして連れて参りましてございます」

「太夫(こったい)はん?」初瀬が訊いた。「誰やろなァ、うちのお店に太夫はんなんておらんけど」

 そして、さらに上体を伸ばして外を窺った。

 香月屋の主人の隣にいるはずである。

 だが、半開きになったままの襖が、その姿を隠している。

「知っておるかね、永倉君」井上が小声で囁くように云っていた。「島原には花魁という者がおらんでな。太夫というのが一番上なんじゃよ」

 正二郎もわずかに顔を向ける。

 その首に、白い腕が巻きつけられた。

「やぁんセンセ、見たらあかんえ」初瀬だった。「センセの相手は、うちや」

 そして初瀬はもう一度酒を口に含み、正二郎に迫ってきた。

「こ、こら!」と避けようとしたが、

「正二先生、逃げるのは野暮ですよ」

 声とともに、その背後から太い腕が伸びたかと思うと、逃げる正二郎の体を強く抱き留めた。

 近藤だった。「ささ、ぐうっと」

 首を回して見た。

 顔色は変わってない。

 しかし、息が酒臭い。

 もう、かなり酔っているようだ。

 思わず顔をそむけた頬に、細く白い指先をした両掌があてがわれた。

 押しつけられる、唇の感触。

 堅く閉じていたはずの口が、その隙間に滑り込んできた舌先で難なくこじ開けられる。

 酒。

「わははは! どんどん飲ってくれたまえ、先生!」

あーっ、なんで正二先生ばっかし……!

 原田ががなり立てたかと思うと、自ら徳利を手に取った。「よし、そんなら俺から飲ませてやるからな」

「いやぁん、原田センセぇ!」女たちの嬌声が上がった。

「あ、あの……よろしどすか?」

 話を中断された形になって、主人が頭を起こした。 

「あ、こっちは気にせんでくれ」羽交い締めをほどきもしないまま、近藤が笑う。

「は、はぁ……さよどすか……」

 顔を上げ、眼を動かす。

 そこで初めて、正二郎と視線が重なった。

 の瞬間、

「しょ、正二センセ……!」主人の顔色が変わった。「あかんっ、こらあかんっ!」

「? あかんとはどういうことだね」

 と、正二郎が訊ねようとするところへ、

「しょうじ……あかん?」

 近藤が横から割り込んだ。

「……ええい、障子が開かんわけないだろう」彼は、眼が据わっていた。「口上はいいから、とにかく早くその妓を連れてきなさい」

「いっ、いや……それが……!」主人が狼狽していた。「ほんま、ほんまにあかんのです」

 半開きの戸の陰にいるのであろう、こちらからは見えない芸妓を窺っている。

「あかんはずがあるまい、さっさと開けたまえ!」

「いえっ、ほんまあきまへんっ……」

 不意に、

「お初にお目にかかりまする」

 声とともに、襖が開いた。

 その向こう側に、自ら戸を動かした手をついて、女が深く礼をしていた。

 一同の視線が集まる。

「顔が見えんぞ」近藤が云った。「面を上げられよ」

 女は、伏せた顔をゆっくりと、上げる。

 

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