からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜」
その12
「これ、道之助!」別の者から叱責する声が飛ぶ。
加納道之助、と名乗っていた。
伊東に連なって座す隊士たちの一人であった。
「加納君」
穏やかに名を呼んで、伊東は黙って酒を飲む。
それきり、次の言葉を続けない。
強く止めもせねば、煽りもしない。
「云わせてもらいます」
加納と呼ばれた男はそう云って、手にした盃を置いた。「嘆かわしいと思いませんかっ、この島原にまで異人の女郎が闊歩するとは」
「ちょいと道はん、女郎とはなんや」 初瀬が遮った。「島原の女はな、芸を売っても体は売らしまへんえ」
「黙れ初瀬、客に口答えするかっ!」
「……すんまへん」
原田が顔をしかめ、正二郎に目配せした。
(ほら先生、こいつらは頭が固いだろ)……そんな声が聞こえるようだ。
正二郎は、手元の酒を口に含んだ。
そして、咽喉へ流す。
今までもあったことだ。
アンジェリーナの姿は嫌でも周囲の目を集める。
中には、その本質も知らず、心なく云う者もいた。
まして、この時代この国には、西洋へのアレルギーや反発心が生み出した《攘夷》という世論が渦巻いている。
新選組も……いや、局長の近藤とて、その思想の根底に攘夷の志がある。
だが……、
「いやいや、道さん」とりなすように藤堂が云った。「彼女は別だ」
「どう別だと云うんだ」加納が応える。「この国を闊歩する異人を追い払う、これが攘夷の志じゃないか」
「異人じゃない、彼女はこの日の本で生まれたんだよ」
彼女の偽りのプロフィールを、藤堂は本気で信じていた。「心は我等と何もかわりはせん」
「我等と同じ心を持つ女ならば、どうしてあのような夷狄の人形舞を見せるのか」
「そ、それは……」藤堂の眉根が歪み、傷痕がわずかにひきつった。
伊東や加納の態度に、正二郎は違和感を感じていた。
彼女への嫌悪ばかりではない、
そこに、何か計算が働いているのでは。
「君だって伊東先生と志を同じくするのだろう! 藤堂君」
伊東先生と、とそう云った。
攘夷思想を前に出し、宴の場を乱す。
酒席の小さな諍いが、小さな小さな楔となって新選組の結束を……
しかし、確信はなかった。
加納は続けた。「山南先生っ、あなたはどうお思いですか?」
山南敬助。
正二郎は彼に目を向けた。
名を呼ばれるまで、その存在は埋没していた。
山南は、わずかに顔を上げた。
だが、応えはなかった。
曖昧な微笑を浮かべ、そのまま、何事もないように目を伏せた。
静かに手酌で酒を汲む。
「理屈じゃねぇんだよ、奥さ……この人は別なんだ!」
原田の叫びが正二郎の思考を止めた。
声が、怒気を孕んでいる。
今にも加納に掴みかかるのではないか、そう思った。
隣の初瀬が腰を浮かせた。
原田を遮るように、あるいは、庇うように、
加納に対して何か云おうと、口を開きかける。
その肩に正二郎が軽く触れ、制する。
初瀬が振り返ったとき、
空気が、止まった。
「畏れながら申し上げまする」
大広間の一隅に座し、アンジェリーナは顔を伏せ、続けた。
「そも、傀儡舞は
清国にて生まれた大道芸にてありんす」
張りのある声だった。
そして、彼女は傍らの芸妓の持つ楽器に目を向けた。
「これとて、唐土の楽器《胡弓》でありんす」
芸妓が楽器を差し出した。
云われて、加納があらためる。
その間に、
彼女は、視線をかすかに、正二郎へ向けた。
変装のため染めた瞳に、一瞬光が宿る。
彼は唾を呑み、並べられた膳料理に目を落とした。
そして、うなずいた。
「……だが、その方の踊り!」加納が楽器を投げ捨てた。
「今の囃子は……まごうことなく西洋の!……」
その、わずかに言葉を切ったそのタイミングをとらえ、
「やあー、南瓜がうまいですな。伊東先生!」
わざと大声で、わざと大げさに、
正二郎は膳から煮付けをつまみ、口に運ぶ。
そして、伊東に目を向けた。「さすが島原随一と評判の角屋ですな……先生、そう思われませんか?」
「正二、先生……?」
訝しんだ伊東の反応に構わず、彼は続けた。
「ところで……伊東先生とその門下の方々は文武に秀で、
こと文においては博覧強記と承りますが」
皆に聞こえるよう声を上げ、云ったつもりだ。
そこでもう一箸、南瓜の煮付けを口にした。
本当に美味い。
嚥下する。
そして、訊いた。「昔から疑問でしたが、南瓜はどうして南瓜という名なのでしょうかな。ご存じでしたら是非お教え願いたいものですが」
視線をゆっくりと動かす。
それを、加納で止めた。
目が合って気勢を殺がれたか、彼は、
「それは……」
と云いかけて、
そこで、口ごもった。
カンボジア。
鎖国前に渡来し、日本語として定着したが、
れっきとした、《異国》の野菜である。
その目元が、かすかに険しくなるのを正二郎は見た。
自然に視線を移してから、
「いやいや、つまらん疑問でした」正二郎は大げさに頭を振った。
やりこめるつもりまではない。
「なんでだろうかなぁ……」そこでもう一度、首を傾げた。
「へえ、正二先生でもわかんねぇ事があるんだな」それを見ながら原田は、南瓜を一口にほおばり、続けた。「源さん、あんたは知らねぇか?」
「あ、わしか……? うーん」名を呼ばれ、井上は考え込んだ。
眉根に皺を寄せ、真顔で、つまみあげた箸先の南瓜を見つめている。
しばらく首を傾げていたが、やがて、云った。
「……形がこう、かぼっ、としとって、
食べるとその……ちゃっ、とするからかのう」
「おいおい!」
原田の大笑いが、場の空気を塗り替えた。「いくらなんでも……かぼ、ってのぁな……!」
「……まあ、加納君」つられて笑いながら、近藤が口を開いた。「西洋であろうが清国であろうが、良いものは良い。それでいいじゃないか」
「局長!」
「なあ。伊東先生」
「……ええ」そう云うと、伊東は芸妓に酌をさせた。「加納君、もういい」
その視線が正二郎を向く。
「不調法を致しました」とだけ云う。
目元が、かすかに、笑った。
性は悪い人間ではない。そんな気がした。