からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その15 

 

「《香月や》さんはご存じなかったのですよ」

 アンジェリーナは、置屋の名前を口にした。

 そして、続けた。「角屋さんからはただ、新選組の皆さんがお集まりになる、としか伝えませんでしたから」

 それで、彼女が遊女に……?

「だからと云って、お前があんな格好せんでも!」

 そこでまた、正二郎は口ごもった。「すまん……『あんな』なんて云うちゃいかんな」

「いえ」

 アンジェリーナが背を向けた。

 壁に掛けられた診療用の白衣に手を伸ばし、羽織る。

「……ん、どうした……?」

急な話で、替わりの太夫や天神が間に合わなかったのです」

 話しながら、彼女は袖を通し終えていた。

 そして、階段に向かう。

「お、おい……アンジェリーナ」

 二階は病室になっている。

 だが、入院患者はいないはずだった。

 いや。

 留守番の老婆は、患者がいると言い残して去った。

 すると、彼が角屋へ出掛けた後に急患が出たのか。

 アンジェリーナは正二郎を振り返る。

「……明里さんです」

「明里?」

 正二郎は反芻した。「明里が、入院したのか」

 小さくうなずいて、アンジェリーナは階段を上がる。

 明里。置屋《香月や》の天神。

 置屋の主人の話では、親元へ出ていたはずである。

 正二郎が追う。

 階段を駆け上がろうとしたとき、

「ご免やす」

 玄関から呼ぶ声がした。

「おう」と声を掛け、戸を開ける。

「おばんどす」

 香月やの主人だった。

 正二郎の顔を見るなり、剥いた。「ひゃっ、正二センセ……何ぞしてここに?」

「何ぞも何も、ここは私の家だ」彼は応えた。

「あっ……そうどす、そうどしたなぁ……いや、さっきはその……」

 主人は口ごもった。

 太い眉をひそめて正二郎を窺いながら、彼は言葉を続けた。

「詰まるところその、先ほどは思わぬ事で奥方をその、でしてなぁ……」

 要点だけを話してくれ。

 正二郎は、内心で、そう云っていた。

「あら、《香月や》さん?」

 振り返った。

 二階から、アンジェリーナの声が響く。

 声に向かって主人が応える。「ああ御寮さん、さっきはまぁ……」

「どうぞお上がりくださいませ」

「あっ、いや、えーと……」進められるままに上がろうとして、主人は、前に立ちふさがった正二郎に目をやった。「あ、これは、その、要しますと……」

 口を開こうとした正二郎の後ろから、

「どうぞ」

 と、アンジェリーナが声を掛けた。

「どうぞ」

 と、正二郎は脇へ動き、通り道をあけた。

「はは、これはおおきに……」

 そう云って主人は玄関を上がり、階段へと歩く。

 正二郎も、その後へついて、二階へ上がった。

 二階の一番手前の部屋。

 そこだけ、灯りがついている。

明里、入るで」

 声を掛けて、主人が障子戸を開けた。

 正二郎と続いて、部屋に入る。

 六畳ほどの間に、布団が一丁敷かれていた。

 すでに、その枕元には、アンジェリーナが端座している。

 明里は起きていた。

 髪を解き、寝巻姿の半身を起こして、アンジェリーナと何か話をしていたようである。

「明里」正二郎は彼女に声を掛けた。

 彼女は振り返った。

 細面である。

 化粧気のない素顔の眉が細く、
澄んだ瞳は知的な輝きを放っていた。

 静謐な姿の中に気品を湛え、それが魅力となっている。そういう女だった。

 彼女はうつむいていた。

 だが、血色は悪くない。

 医者の本能で、正二郎はさらに彼女の様子を観察した。

 そして、訊いた。「どこが悪いんだ」

「いや、それが……病やないのどす」替わって応えたのは主人だった。

「病気じゃない?」正二郎が「どういうことだ」

「それがどすな……要は、新選組のお座敷には出とない。そない云うんどすや」

「新選組の……いったいどうして?」

「ま、わからんでもないのどすが」主人は続けて云う。
「ただ、故郷(くに)から帰ってくるなり
 いきなりそれ、どしたからなぁ……いえね、
 角屋はんから呼ばれた頭数は揃えなあかん、
 とりあえず初瀬ら先行かせましたけどな、
天神替わりとなるとそうは居まへん、
 なにしろ急な話どしたからなぁ……けどま、
 うッ所
(とこ)みたいな小さな置屋は信用第一や。
 呼ばれた芸妓が来ぃへんよなら、
 信用失くしておまんまの食い上げどすからなぁ……」

「それで《香月や》さんは、
私の所に相談にいらしたのです」

 アンジェリーナが要点を語ってくれた。「明里さんを急病に仕立てたのも、替わりに角屋に行ったのも、私の考えです」

「おまえ……それでお前が角屋へ……」

「……アンズ姐はん、堪忍っ!」

 初めて明里が口をきいた。

 両手をつき、深くアンジェリーナに頭を下げる。「……堪忍やぁ……」

「いいのよ」

 その手に、アンジェリーナは、自らの手を添えた。

 そして、握った。「私も楽しかったから」

「楽しかった?」正二郎は思わず反問した。

 何がだ?……と、続けたかったが、云えなかった。

 体を押さえつける近藤の太い腕、そして、口に注ぎ込まれた酒の感覚が思い出された。

 アンジェリーナの顔が、ゆっくりと、彼に向けられた。

 くすり。

 アンジェリーナが小さく笑う。

「まったく……!」正二郎は舌打ちした。

 そして、訊く。「だが、いったいどうしたんだ。どうして新選組に……」

「あっ、それはどすなぁ……」と主人が話そうとしたのを遮って、

アンジェリーナ、要点を頼む」正二郎は云った。

 口を開きかけ、

 彼女は、明里を窺った。

 明里は、正二郎を見て、うなずく。

 そのとき、階下で、何かの気配があった。

 戸が開く。

 ついで、大きな声が聞こえてくる。

「正二先生! 勝手に上がらせてもらいますよ」

 知った声だ……永倉新八。

 いつも以上に大きな、威勢のいい声だった。

 

【次の章を読む】 -->   【目次に戻る】   【メニューに戻る】