からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その16 

 

 踏み入る足音がもうひとつ。

 誰か。と思っていたら、

「こっちです山南先生こっち、明里はこっち、この家におりますよ」

 無用に陽気な永倉の声が、明かしてくれた。

 山南敬助と、永倉新八。

「……あかんっ、新選組や!」

 主人の狼狽は、踏み込まれた不逞浪士もかくやという有様だ。「どないしょ、どないしょ」

 アンジェリーナは落ち着いていた。

 彼女は明里に向かい、訊いた。「山南さんよ? 逢える?」

 正二郎は、明里の反応を窺った。

「二階じゃないすか? おーい、正二先生!」永倉の声が無遠慮に響く。

「……ごめんなさい」

 そう、小さな声で、彼女は云った。「……今は……今夜は……」

 かすれて消えてしまいそうな声だった。

「今……は、ね」アンジェリーナはうなずく。

 それから、正二郎に目をやった。「あなた、お引き取りいただいて」

「ああ」云われて、ほとんど反射的に正二郎は部屋を出た。

 後ろ手に障子戸を閉める。

 そこで、気がついた。

 まだ、理由を訊いてない。

 階段の下から、永倉が顔を出した。

「ほら、やっぱり二階ですよ! あははは」

 眼の周りがわずかに赤いが、赤ら顔というほどではない。

 なってないが、あの宴で、下戸の正二郎からは想像もつかない量をあけた永倉である。

 それも、

(いやいや、山南さんに勧められたら断れませんなぁ……じゃ、これが最後の一杯ですからね)

 と、実のところ勧められもしないのに勝手に手酌で飲み干してゆく。

 以前、屯所である八木家差配が、

かなんなァ……
 永倉様ときたら、なんぼ酒買うてもみィんな水みたいに呑んでしまはるし)

 と嘆いていたのを思い出す。

 酩酊こそしないが、態度の大きさ、表情のゆるみ具合に、酔いの回りが窺えた。

 それでも、酒席帰りの斬り合いで不覚をとったことがないというから、大したものだ。

山南総長っ……正二センセですよ」

 永倉の後ろに、もうひとつ顔が出た。

 山南敬助。

 こちらは素面のようだ。正二郎の顔を見て、黙礼する。

「山南さん、明里は上ですよ。たぶん」永倉が云った。

 云われて、山南は階上を窺う。

「いや、それが……」云い澱みながら、彼は階段を下りた。

 そして、二人の前に立った。

 いつの間にか、永倉は座っていた。

「ふう」と、大きくため息をつく。「さすがに酔いました。少し休ませてもらいますよ」

 その姿に山南は苦笑し、それから正二郎に頭を下げた。「お騒がせしています」

「いや、なんの……」応えてから、山南に眼を戻す。

 大柄な体つきの男だった。

 だが、こんな顔だったろうか。そんな思考が一瞬浮かんで、消えた。

 別れた後で思い返しても印象に残らないような、特徴の少ない顔立ちをしていた。

 今日の宴でも、何を話し、何をしていただろうか。

 山南敬助。

 仙台脱藩、北辰一刀免許皆伝。天然理心流道場『誠衛館』の食客を経て京に上り、発足当時の新選組で土方歳三と並んで副長を務め、のち、総長職に就く。

 池田屋事件には屯所の警備にあたったため参加していない。

 暑さに倒れた隊士の対処に追われていた。

 そのときが、正二郎との出会いであった。

「いきなりし掛けまして」

 気がつくと、永倉は、座ったまま寝息を立てていた。

「ずいぶん呑みましたからね」

 それを横たえ、羽織を掛けてやりながら山南は云った。「最後まで、明里が来ない、明里はどうしたと気にかけてくれましてね」

 近藤と同じように、物腰は柔らかい。

「香月屋に寄りました」山南は続けた。「そうしたら、こちらにいると伺いましたので」

「はい」

 わざわざご苦労さまで、と云いかけたところを、山南に遮られ、

「……急病、と聞きましたが」

っ、いや……」正二郎は口ごもった。「まあ、そのようなものです」

「そうですか」

 と、山南は応えた。「会えますか?」

「そ、それが……」

 そこで正二郎また間を置いた。「……もう、寝てるんだ」

「そうですか」

「そうなんだ」

 山南は、しばらく何も云わなかった。

 やがて、口を開く。「成瀬先生、それは嘘ですね」

 他の隊士連中と違い、彼を《成瀬》と呼ぶ。

 正二郎の咽喉が鳴る。

 やはり、嘘は苦手だ。

 

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