からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜」
その17
山南は云った。
「何か、我々に会えない理由でもあるのでしょうか」
「そんなことはないっ」正二郎が首を振る。
山南は少しの間、眼を閉じた。
強く閉じすぎたせいで、眉間や目尻にまでかけて、深い皺が刻み込まれた。
唇が、小さく動いている。
何と云ったのか、声は聞こえない。
こみ上げる酒気を抑える仕草にも見えたが、しばらくのち、その眼を開くと、
「そうですか」と同じ言葉を繰り返した。
思わず正二郎は眼を伏せた。
言い澱んだ自分の心境を察して、追求を避けたのが明白だったからだ。
鋭い、と思った。
鋭すぎるのも考え物だ、とも思った。
「ま……その、なんだ……」
彼はゆっくりと視線を戻し、山南の顔を見る。
「……総長に、なったそうですね」
こんな事しか云えんのか。
正二郎はまた顔を伏せた。
視線の先。永倉新八が、板敷の上に寝転がっていた。
「え、あ、ああ……」
山南の相槌は奇妙に間延びしたかと思うと、それが乾いた笑い声に変わった。「はははは」
「や、山南さん……?」
「いや、あれは失敗でした」苦笑いを浮かべながら、彼は大きく息をついた。「どうも、皆には偉そうに聞こえてしまうようですね」
「えっ?」
「隊内総務を司る副長格の職、と云う意味で名付けたのですよ。本当は」
現代で云うところの、《総務部長》であろうか。
そして、永倉が寝息を立てるのに眼をやった。
「けどね」少しして、顔を上げる。
「けど?」
「局長、副長、参謀、伍長……我ながら巧いこと考えたと思いますよ」
「皆あなたが考えたのか? その……」
妙な呼び方を、と云いかけたのを正二郎は危うく呑み込んだ。
それに気づいたかどうか、
「昔からあった言葉もありますがね」
山南は反応を見せなかった。
「新選組を見てください」彼は語り続けた。「れっきとした武士もいれば町人もいる、近藤先生や土方さんだって、もとは百姓です。だけど身分の隔たりがない。あるのは実力だけです。……なんというかその、巧く云えませんが……そういうのって」
そこで彼は言葉を切った。
優しい顔をしていた。
続ける言葉を、
彼は持っているのだろうか。
「……今まで誰も見たことのない、どこにもなかった組織……新しい時代にふさわしい、そういうものにしたかったんです、新選組を」
したかった、と云った。
と、後から考えれば正二郎には思い当たるが、少なくともその時には、何も感じなかった。
語り終えて、山南はもう一度階段の上に眼をやった。
「今夜は、帰りましょう」静かに呟いた。
応えに戸惑う正二郎の頭越しに、階上から声がした。
「明里さんは今日、宇治から戻りました」
静かな、しかし、よく通る声。
アンジェリーナだった。
二階の病室を出て、階段を降りてきた。
「あ、これは」と、山南が頭を下げる。「……さきほどは、見事な人形舞でしたよ」
「まあ」と彼女は笑う。
「花魁の真似も堂に入っておられました」
正二郎は、何も云わない。
そして、山南は続けた。「今、宇治と仰せられたが……」
「あの子の故郷です」
アンジェリーナは云った。
ためらうことなく、言葉を続けた。「弟御の葬儀だったそうです」
「弟……?」
「侍に憧れていたそうです」アンジェリーナは淡々と伝えた。「つてを頼って大和十津川の郷士屋敷へ奉公に出た、そう云ってました」
「十津川……ですか!」山南の眼が動いた。
十津川郷士は勤王攘夷の志篤く、長州や土佐など反幕府勢力に与して京の街を跳梁していた。
それは、正二郎も知っている。
「三日前の報告にありました」
話を続けたのは山南の方だった。
すでに、顔を包んでいた柔らかさが消えていた。
「寺町に潜伏する長州残党を捕縛する途上で……」
逃走した長州藩士を鴨川に追い詰め、河原で乱戦となった。
そのとき、彼らの逃走を助けるため、
ただ一人残って斬り死にした若侍がいたという。
その者が、少年ともいうべき幼さであったことと、十津川郷士、と名乗りを上げたと報告書にはあった。
「では……それが……」
山南の声は、かすかに震えていた。
やはり、鋭い男だった。
アンジェリーナの一言で、すべてを察したのだろう。
正二郎は、アンジェリーナを窺った。
言葉もなく、彼女はうなずいた。