からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その18 

 

「そう、でしたか……」

 新選組が、彼女の弟を……。

 正二郎は階上に目をやった。

 あの上に、明里がいる。

 山南に眼をやれば、彼もまた、二階を見上げていた。

 が動いている。
 もの思いに沈むときの、彼の癖であろうかと正二郎は思った。

 やがて、

「帰ります」

 山南は静かに云った。

「山南さん……」

「また来ます」そう続けた。

 あとになって思い返すと、付け足すような口調だったかもしれない。

 それから彼は、寝込む永倉を起こし、二人で玄関戸を開いた。

「山南先生?」去り際に永倉が口を開いた。「明里はどうでした」

「もう眠ったそうだ」とだけ、云った。

「そうか……」永倉は少し間を置いて、それから、階段の向こうへ声をかけた。

おぉい明里っ、しっかり養生するんだぞぉっ!……おっと」

 よろめいた体を支えながら、静かに、山南は背を向けた。

「山南様」

 見送るアンジェリーナが声を掛けた。

 振り返った山南に彼女は云った。「あの子はきっと、元気になりますわ」

「ありがとうございます。お内儀」表情がなごんでいた。「頼みます」

 そして、出て行った。

 続いて二階から、置屋の主人が下りてきた。「あ……センセ、新選組は?」

「帰ったよ」正二郎は応えた。

「そうでおますか……いや、ほんま一時はどうなることかと……」と続けようとして気がついて、「ほなセンセ、わてもこれで」

「明里は?」正二郎が訊ねた。

「ようやっと寝みましたわ」そう云った。「センセ、あの子をよろしう頼ンますわ」

 正二郎がうなずいた。

 戸が閉まる。

 静寂った。

「客の多い日だったな」

 独り言とともに正二郎は三和土に降りた。

 表に掲げる《才が》の灯を吹き消してから、戸に心張り棒をかませる。

 座敷へ戻ると、アンジェリーナは、白衣を解きほどいてた。

「それにしても……」正二郎はつぶやいた。「山南さんは、明里を見舞いに来たんだよね」

 問われて、アンジェリーナは顔を上げ、応えた。「ええ」

「ということは……気になっているということで……」

 正二郎はそこで言葉を切った。

「するとつまり、山南さんは……明里のことを?」

「あなた……」それきり云って、アンジェリーナは絶句した。

「どうした」

「……ご存じなかったの?」

 島原の者なら皆知っている。

 そう訴えている瞳だった。

「そうか、山南さんが明里を好きだったとは……」

「山南さんだけではございませんわ」アンジェリーナは静かに云う。

 正二郎は意外に思って問い返した。「永倉君もなのか?」

 応えはなく、彼女は眼を閉じた。

 ゆっくりと、かむりを振る。

「あっ、ああ、明里がね……」
 急いで訂正して、そして、続けた。「ではつまり、あの二人は好き合っている、ということじゃないか」

「お気づきにならなかったの?」アンジェリーナは白衣を脱いだ。「何度も二人にお会いになっているんでしょう?」

 そして、云った。「呆れた」

「い、いやっ、そんなことは……」取り繕う言葉も出ず、耳の後ろを掻いた。

 それから、言葉を繋いだ。「からんな……男と女の事は」

 たまらず、アンジェリーナが吹き出した。

「だが、それはまずいだろう」正二郎は続けた。
「お前の話では、あの妓の弟を新選組が斬ったことになる。それじゃ……」

「ええ」応えて、彼女は天井を見上げた。

 そうすると静寂が部屋を、そして二階をも包んでいるのが感じられるようだ。

 明里の幽かな寝息が聞こえるかと、耳を澄ましてみた。

 静かな声で、アンジェリーナが云った。「どんな哀しみも、時間が癒してくれますわ」

「そうじゃな」正二郎は肯んじた。

 も、
 そしてアンジェリーナも、
 兄弟を理不尽に失った経験がある。

 痛みも辛さも、時は必ずやわらげ、鎮めてくれる。

「時間がかかるかも、な」彼は言い足した。

 だが、必ず……。

 そう続けようとした言葉を、正二郎は呑み込んだ。

 云わなくとも、伝わることだった。そう思った。

 

 

 山南敬助が新選組を脱走したのは、その翌朝の出来事だった。

 彼には、時間はなかったのか。

 

 

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