からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜」
その20
乗って出たはずの馬を降りて、その手綱を曳いて、沖田総司はゆっくり歩いている。
それに数歩遅れ、馬の後脚のあたり、山南敬助がいた。
二人は、坊城通を北から下って来る。
さながら、散歩からでも戻ってきたかのように、のどかな歩みであった。
子供たち、そして正二郎に気づいたか。
「やあ」沖田は手を挙げた。
正二郎は会釈して応えた。
壬生寺の北隣は八木邸、坊城通をはさんだ向かい側が前川邸、それが新選組の屯所である。
四つ辻を左に出ルと前川邸だが、角を曲がらず通り過ぎた。
その先の八木邸さえ無視して、まっすぐ、正二郎らのいる壬生寺の門前を目指していた。
山南に目をやった。
差料が、腰から外されている。
だが、外した大小は馬の鞍に無造作に掛けられていた。
その気になれば、簡単に取り返せる位置だったが、山南もまた、刀の存在に無頓着なようで、一顧だにしない。
沖田らが足を止めると、たちまち子供が群がった。
「オッチャン、帰ってきたんやなぁ!」
「オッチャン! どこ行ってたん?」
口々に云ったり、馬の首や脚に触れている。
「オッチャンはやめろと云ってるだろ」
不服そうに云い返してから、沖田が正二郎に話しかけた。
「正二先生、お久しぶりです」
「いや、こちらこそ」云って、正二郎は視線を山南に戻す。
山南と眼が合った。
こんな顔だったろうか、という思いがした。
特徴がなく、覚えにくい顔つきだった。
だが、正二郎を見て黙礼したので、間違いなく山南敬助なのだろう。
山南を窺う彼に、沖田が気づいたか。
「大津まで行って来ましてね」
正二郎に語っているのか、それとも独り言なのかわからない。
山南を追ったとも、捕らえたとも云わなかった。
それから、
「ごめんな、留守してて」子供たちに向き直り、沖田が云った。「さ、一緒に遊ぼう。何してたんだい?」
「もう日が暮れるで」子供たちが口々に云う。「もぉ帰らんとあかんえ」
「そうか……そういえば、もう夕暮れですね」沖田が云った。
うつむくようにして少し考えてから、顔を上げた。
「じゃあ、正二先生と遊びましょう」
「私と?」
「はい」沖田はうなずいた。「コマ回しでも高鬼でも何でも、先生の好きな遊びでいいですよ」
「あー、ずるいで! オッチャンとセンセだけ」子供が騒ぎ出す。
「悪いな。でも子供はもう帰らないと」
その頭を撫でていた沖田が、空を見る。
夕焼けが京の山並みに映えていた。
やがて、沖田は、馬の脇にいた山南へ向き直った。
「そういう訳で山南さん、私は正二先生とちょっと遊んできます」
それから、馬の鼻先を軽く叩いた。「その間退屈でしょうから、この馬に乗って、どこかお好きなところへ逃げてください」
正二郎は耳を疑った。
だが、山南は笑っていた。「沖田君、冗談はもういいよ」
「私は冗談なんて云ってませんよ」沖田は、口を尖らせた。
「本当に山南さんに逃げてもらって構わない、そう思ってますからね」
沖田は冗談が好きな男だ。
ただ、それを真顔で云うから、正二郎には冗談とわからないことが多い。
壬生寺で遊んでいても、時たま会話がとんちんかんになることがあり、まわりの子供たちを笑わせた。
そして、今のが冗談かそうでないか、正二郎には読み切れなかった。
おそらく京へ戻るまでに、この《冗談》が幾度となく繰り返されたのであろう。
「もういいんだよ」
山南の言葉は静かだった。「行こう。屯所は目の前だ」
「でも……」
口ごもる沖田だったが、
「云っただろう」山南は続けた。「私には、もう在るべき場所はないんだよ」
そして、山南は自ら踵を返し、いま通り過ぎた屯所へと、歩き出した。
「山南さん!」
それは、正二郎の声だった。
なんで自分が呼び止めたのか、呼び止めてどうするつもりだったのか、正二にはわからなかった。
山南は振り返った。
「あんた……あ、あ」少し迷って、云った。「あんた、明里はどうするんだ」
応えはなかった。
「知ってるか?」正二郎は続けた。「明里はな、あんたの事を好いてるんだ、本当だぞ!」
何ヲ云ッテルンダ、私ハ。
鐘の音が続く。
屯所から姿を見せた見せた隊士たちが山南の姿を認め、騒ぎになり始めている。
沖田が小さく舌打ちした。
何カヲ、云ワナケレバ。
「今もだぞ!」
そう思う気持ちが、正二郎を叫ばせていた。
「……今でも、明里はあんたに会いたがってるぞ!」
山南の足が、止まった。
正二郎は、反応を待つ。
山南の眉が動いた。
目元がわずかに、優しげに微笑むかのように細くなる。
まるで、(それは……嘘、ですね)とつぶやくように。
嘘かもしれない。
だが、本当かもしれない。
本当か嘘かはわからない。
だがそこで、山南の両腕が、別の隊士につかまれた。
荒々しく、八木邸の、生垣の陰へ引き込まれていく。
「待ちなさいっ」沖田だった。正二郎の脇を抜け、山南を追って走り去る。
正二郎は一歩だけ足を踏み出して、止まった。
(私ハ……)
彼らの姿が屯所に消えた後も、正二郎はそのまま立ちつくしていた。
鐘の音が遠く響く。
「なぁ、正二センセ。オッチャンとは遊ばへんの?」子供らが訊く。
日が、沈もうとしていた。