からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その21 

 

「あン時な、うちとこにも来たんですわ。新選組」

 湯呑みをいったん膝に置き、《香月や》が云った。

原田先生がな、朝も早よから手下ぎょうさん連れて、店の前で『山南さんはどこだ、隠すと為にならんぞ』云わはってまぁ……わてら起き抜けやし、いきなりの事かて、何のことかわからしまへん。話ようよう聞いたら山南先生が居らんか、どすわ。こっちは山南先生どころか明里かて居らしまへん。そない応えましたけど原田先生、信じてくれませんのですわ。……で玄関問答みたいになったんどすが、そン時のこの子ときたら……ほんま、すごかったんどす」

「ヤやなぁおとうはん、云わんといてぇな」初瀬が目を伏せた。

「嘘やないやろ」置屋の主人が応えて云う。「初瀬お前……奥から竹箒持ち出して来て、『何やの朝から。居はらんもんは居らしまへんのやで』云うて……こう、」

 と、槍でも構える仕草をして、

「突きつけましたんや。それで原田先生をぽかぽか追っかけ回しとるとこなんかまるで、巴御前や思いましたで」

「……正二せんせぇ……ほんまに取ったら、あかんよ……」

 初瀬はうつむいたまま、畳の縁を指でなぞっている。

 伏し目がちの睫毛が、長い。

「そうか?」正二郎は苦笑した。「お前ならやりそうに思えるがな」

「もぉ、センセのいけずぅ……」初瀬が袖で顔を覆う。「……うち、恥ずかしいわぁ……」

「何恥じろうとんのや」
《香月や》が顔をしかめた。
「ほんま勘弁してほしいわ。わし、傍で見てて生きた心地せぇへんかったで」

「何でや」
短く云って、初瀬が袖から顔を上げた。
「だいたい、おとうはんがもちょっとびしっとせんから……」

「そりゃそうやが……」《おとうはん》が首をすくめた。
「しかし、原田先生はあれでもお侍様やで。それがあない、おおぜいの前で竹箒であないにぽかぽかやられはって……。あン時お前……なんぼじゃれ合い仲間のお前かて、原田先生が本気で怒ってみぃ、わしらあの場で串刺しや」

「せやて、うちらなぁンも悪いことしてへんえ」と云いかけた初瀬が気づいて、

「ちょっとおとうはん、うちと原田センセが何でじゃれ合い仲間やの?」と反問した。

「あ、う……その、要するにだな……」口ごもり、主人は軽く咳払いをした。

「初瀬」正二郎が水を差す。
「化粧が落ちてるぞ」

「もぉ、センセの意地悪う!」

 その時、ふと思いついたように、《香月や》は正二郎に小粒銀を手渡した。「ところでセンセ、これ」

「そうか」と、正二郎は相槌を打った。「別に構わんのだがな」

「またそない云わはって」

「そやでセンセ。
 こンお金でまた角屋はん行って、
 うちのこと買うてくれればえぇし」

「ばっバカ……おまえ!」

「うふふ、冗談どすえ……センセ、真っ赤にならはってかわいいわぁ」

「ま、ともかくお受け取りくださいませ。わし……いやわしだけやない。島原の者はこぞってセンセには日頃からお世話になっとりますからな。センセばかりやのぅて、先代に初めてお会いしたとき……」

「わかった、わかった」

 銀は、明里の入院代だ。

 彼女は、今日退院する。

 迎えに来た二人を待たせて、アンジェリーナが二階で身支度を整えさせている。

 山南脱走の一件は、まだ告げていない。

 もちろん、その山南が沖田に連れ戻された事も。

 しばらく口を尖らせていた初瀬だったが、間もなく正二郎に向き直った。「センセのとこも来はりました? 新選組」

「ああ」正二郎は軽くうなずく。

「まぁ、平気どした?」聞くなり、
初瀬は眉をひそめて正二郎ににじり寄った。
「原田様みたいな荒くれに、ひどい目にあわされへんどしたか?」

「い、いや……大丈夫だ」身を躱し、正二郎は応えた。

 あの朝、山南を捜す一隊が中之町の《才が》にも現れた。

 ただし、正二郎はその様子を知らない。

 あの宴の翌朝である。酒のせいか、あるいは気疲れのせいか、彼は珍しく寝過ごした。

 かわりにアンジェリーナが応対した。

 率いるのは二番隊組長、永倉新八。

 昨夜の泥酔を全く残さぬ、
浅葱色の羽織に胴鎧、頭に鉢金まで巻いた
完全装備のいでたちで、ただ一言、

(こちらに山南さんが来ませんでしたか)

 と、訊ねたという。

 アンジェリーナが否定すると、玄関から二階に目を向けて、それから、

(明里は?)と続けた。

(まだ寝んでいますわ)と応えると、それきりで引き上げたという。

 正二郎が起き出したとき、隊士たちが駆け去っていく足音が聞こえるだけだった。

 アンジェリーナから事情を聞いたときの、漠とした不安があらためてよぎる。

 この時、永倉は、山南が脱走したと云わなかった。

 それを知ったのは、日が高くなるにつれ集まる街の噂からであった。

 そして昨夕、壬生寺の門前で、沖田総司が山南を連れ戻したのに出くわした。

 正二郎は天井に目を向けた。

 二階に、明里とアンジェリーナがいる。

「なぁ、センセ」初瀬の声が正二郎を呼び戻した。「山南様、どないならはるんやろ」

「わからん」と、彼は応えた。

 嘘ではなかった。

(局を脱すること許さず)

 確かに、新選組の隊規に照らせば、処罰は免れない。

 しかし、大幹部の山南まで罰するだろうか。

 新選組結成以前からの同志であり、沖田や原田、近藤や土方とのつきあいも古い。

「だいたい、山南さんが脱走したと決まったわけでもなかろう」

 そう、

 壬生で会ったときだって、使いから戻ったような淡々とした姿だった。

 だから、あるいは……という楽観的な思いを、彼は捨てきれない。

「せやろか」

「ああ」そう、うなずいて見せた。

 初瀬にも、己自身にも。

 天井に眼をやり、二階の様子を窺った。

 明里は、まだ何も知らない。

 まず、彼女に事情を告げよう。正二郎はそう考えていた。

 その上で、壬生の屯所を訪れる。

 山南を処断する動きであれば、近藤に直談判を申し入れてもいい。

 どうにしても、山南と明里とを引き合わせる。

 二人の間の溝を埋めるには、まずそこからだろう。そう思った。

 すべては、明里がここを出てからだ。

 そのとき、彼は天井に気配を感じた。

《しろがね》の発達した知覚が告げている。二階の障子が開かれた。

 来るまで待ちきれない、彼は腰を上げた。

「どないしはりました?」《香月や》と明里がそれに続く。

 三人で玄関間に出て、階段を窺った。

「明里ちゃん!」

 明里とアンジェリーナが連れ立って、狭い階段を降りてきた。

 打掛を羽織った平服姿で、髪を結い直し、その顔には薄化粧さえ施している。

 数日の床暮らしのせいでやつれてこそいたが、血色は戻っている。

 下りきって、板敷に立つと彼女は、

「おとうはん、初瀬ちゃん、すんまへん」

 そう云って頭を垂れた。

「ええんよ」

「よかったなァ、元気になってからに……何ぞ、より別嬪なったみたいやで」

「まぁ、ややわァおとうはん」云われて、明里は微笑んだ。

 良かった。この娘は笑っている。

 傍らで、初瀬が、アンジェリーナから荷物を受け取った。

 それに気づいた明里が手を伸ばす。「初瀬ちゃん、それがうちが」

「気にせんと。うちら迎えに来たんやし」

「すんま……」

「明里ちゃん」初瀬が遮って云った。「そない謝らんでぇな。水くさいわ

「けどうち……」と云いかけた言葉を止めた。

「そや、おとうはん」そして、彼女はこう続けた。「うち、山南せんせにきちんとお詫びせんと」

 

 

「うん?」

 

「あンお人、わざわざここまで来らはったのに、うち……」

うん。あ、ああ……そやな」

 相槌を打ってから、《香月や》が口を開くまで、少し間があった。

「そン話は後や。まずは帰ってからな」

「正二せんせ、アンズ姐さん」
 それを気に留めるでもなく、明里は二人に深く礼をした。「おおきに、すんまへん」

 その肩に、正二郎は掌を触れた。

 明里が顔を上げる。

「必ず良くなる」

 と云って、さらに正二郎は続けた。「何もかも、必ずな」

 彼女の眼に微笑みが戻った。

 これでいい。そう思ってから、正二郎はアンジェリーナを見る。

 彼女は、明里たちを静かに見守るように立っていた。

 うん。
これでいい。

「ほなわしら、このまま店ぇ戻りますわ」《香月や》が口を開いた。
「正二センセ、奥様。ほんま、お世話になりました」

 それが、玄関に視線を向けた。

 正二郎も振り向く。

 人の気配。足音。

 乱暴に、引き戸が開かれた。

 その音に気がついて、他の者も目を向ける。

 永倉新八。

 三和土に飛び込むように入った彼の、
 息が乱れているのは、
 駆けてきたからであろうか。

「あら、永倉様」初瀬が声を上げた。

 そこに正二郎たちが居たのに驚いたようだ。少し、たじろぎを見せた。

 深く呼吸を一つ二つしてから、彼は、《香月や》の前に立った。

「なっ、な、永倉先生、なんどす……?」
いきなり立ちはだかられたせいか、《香月や》が動揺した。
うわずった口調で永倉に云う。
「あ、あの……先だっての、原田様への初瀬の不作法どしたら、あれは、その……」

「山南さんからだ」

 一言だけ云って、懐から袱紗包みを出したかと思うと、それを主人の手に握らせる。

「これは……」

「渡したぞ」

「あの」明里が声を掛けた。

 彼は応えなかった。

 明里を、見ようとさえしなかった。

 背を向け、開けたままの戸に手を伸ばす。

「永倉せんせ」明里が重ねて呼ぶ。「あンお人……山南さま、は……?」

 彼が瞬時止まった。

 だがすぐに、肩を落とした背が震えだした。

 なお一歩、足を進めて、止める。

 戸口に掛けた掌に力がこもる。

 逡巡している……
そう、永倉新八は、逡巡していた。

 声を出そうとしたが、正二郎はためらった。

 呼ビ止メテハイケナイ。そんな、気がした。

 だが、

 永倉は、振り返った。

 その顔に表情はない。

「明里」

 格子戸を、後ろ手で強く、音を立てて閉める。

「……どうして……」

 眸に、力が宿った。

 体内で抑えていた感情が高ぶり、うねって、瞳を逃げ口にほとばしり、明里ただひとりに、叩きつける。そんな眼をしていた。

「どうしてあの夜に会ってやれなかったんだ……!」

 そう、云った。

 静かな水面が波紋でざわめきたつように、永倉の言葉が周囲に広がっていく。

「永倉さ……っ!」正二郎がとどめたが、遅かった。

「山南さんはな、切腹に決まったんだよ」

 声が、震えていた。

 

 

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