からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その24 

 

 日が傾きかけた頃、藤堂平助が一人で《才が》を訪れた。

 原田や井上と共に立ち去ってから、半時もしていない。

「おや」その姿を見て、まず正二郎は声を上げた。「忘れ物かな」

 財布。それから、原田の刀。

 思いつきはしたが、すぐさま正二郎は打ち消した。

 やはり、藤堂も静かに首を振った。

 結局あの金を《香月や》は受け取らなかった。

 されど、井上らとて今さら引っ込めはできないと、宙に浮いた形になったが、

(ほな、しばらくセンセとこに預かってもらお。な)

 初瀬がそう思いついたことで、結局彼が保管するというところに落ち着いた。

 今、それは箪笥の横の長持に収めている。

 自作のからくり細工だが、開閉の手順が難しく、こういう物の保管に丁度よい。

 金はともかく原田が刀を置いていくのが気に掛かったが、

(心配すんなって先生。俺ぁ、槍一本あれば充分よ)

 原田左之助は、そう云い残して出ていった。

「では藤堂君、君は……」

 藤堂は口を開いた。「正二先生、これから、いかがですか?」

いに来たのかね

「はい」彼はうなずいた。

「君とかね」

「伊東先生がお目に掛かりたいそうです」

 意外な名前だった。

 正二郎は次の言葉が出ず、しばらく間を置いてから、云った。「伊東甲子太郎……さんが、か」

 藤堂は黙ってうなずいた。「先生にご相談があるそうです」

「山南さんのことか」

 応えを待たず、彼は奥を窺った。

 先刻、明里が、眼を醒ました。

 起き上がるなり彼女は、

(壬生へ行く)

(あン御方に……山南様にお逢いせんと)

 服の乱れも気に留めず飛び出そうとするので、
アンジェリーナと二人で抑え、なだめ、休ませたところである。

 今夜、壬生に近藤を訪ねようと思っていた。

「う〜ん……」

 知らず、口にしていた。

「近藤先生は、今夜は誰とも会いませんよ」

「えっ?」

 正二郎は振り返った。

「我々幹部とさえ、です。きっと……」

 藤堂平助の、額に傷痕のついた顔に眼をやった。

……あの人も、
あの人なりに苦しんでいるのだと思います」

 正二郎に不意に視線を向けられているの気がついて、彼自身も驚いている様子だった。「……そう伝えれば、必ず正二先生はおいでになると云われましたが」

「わかった」とだけ、正二郎は応えていた。

 

 島原を出た。

 大門を抜け、東へ歩く。

「どこまで行くんだね」正二郎は訊ねた。

 アンジェリーナに断りを入れ、一人だけ行くことにした。

 彼女は、明里を看なければならない。

「西本願寺のそばです」並んで歩く藤堂が応えた。

 大した距離ではない。

 西本願寺の境内に入って、広大な敷地を東へ歩き抜け、門前へ出る。

 なるほど、広い。

 ここへ、新選組が屯所を移転するのか。

 何度も口にしかけ、正二郎はやめた。

 言葉にすれば、山南の話になる。

 藤堂も、あまり口をきかない。

 無口な人物ではなかった、そう思う。

 だが、考えてみれば、島原を訪れるときは、必ず原田か永倉が一緒だった。

 それが今、伊東甲子太郎の使いとして来た。

 こうして単身でいるのは、初めてかも知れない。

「原田君たちは一緒なのか」と、訊いた。

「いえ」彼は応えた。「皆は屯所です」

「傷の具合はどうかね」続けて訊ねた。

 藤堂は額に手を伸ばした。

 そして、応えた。えると疼きますね」

「そうだろうなぁ……」と呟く。

 それで、もう、話すことがなくなった。

 

 ふと、思い出した。

(その方ら、頭が高い)

 以前、藤堂が口癖のように繰り返していた冗談だ。

(何を隠そう拙者は、伊勢藤堂家二十七万石の御落胤である)

 これを聞くとたいてい、共に居る原田か永倉が、

(へへーっ)

 と、彼に向かって平伏する。

(平助っ……いや平助様っ! あんたがそのような高貴な御方とは全く気づきませなんだ、何卒今までのご無礼ひらにご容赦願い奉ります!)

(まったくだ、貴殿の如きむさ苦しき御方がまさか、
 かの大藩の若君様であらせられたとは!)

(うむうむ、苦しゅうないぞ原田。近う参れ)

(はっ)

(その方殊勝につき当藩に召し抱えて遣わす、肩を揉めぃ)

(ははっ、かしこまりましてございますっ)

 などと応えながら、藤堂の肩を揉み始める。

 むろん正二郎は、初めて見たとき本気で信じ込んでしまい、彼らの失笑をかっている。

 そこへ、アンジェリーナが、

(お殿様、粗茶でございます)と茶を淹れてきたら、藤堂はいっそう調子に乗る。

(おう、愛い奴じゃ。その方、名は何と云う)

(アンジェリーナと申しまする)

(あ、あんぜ……おほほほ、それは佳き名じゃのう。しからばその方)

(はい)

その方に、今宵夜伽を命

……いっ、痛ぇっっ! 何すんだよ左之さんっ!)

(調子に乗って何云ってやんでぇ平助!)

(ぶっ無礼者、その方打ち首じゃ!)

(やかましいっ、おい新八っ、この騙り野郎を叩き出せ

(おうっ)

(わかった悪かったっ、やめ……)

「もうしばらくです」

 藤堂の声が、彼を呼び戻した。

 ……そういう男なんだ。彼は……。

「藤堂君っ」

 と云いかけて、やめた。

 逢魔が時。

 夕日がどこまでも、赤い。

 

 油小路を六条まで上り、裏通りを抜けて、しばらく歩いた。

「こちらです」と、藤堂が指した。

 黒塀に掲げられた灯籠に《束信》と書かれている。

 すでに日は沈んでいて、火が灯されている。

 不意に、彼は足を止めた。

 荷を背負った飴売りが
通り過ぎてゆく。

 角を曲がったのを見てとって、それから、あたりを窺うように見回した。

 灯籠の脇の戸を開け、くぐる。

 細長い中庭が奥へ続いていた。

 敷かれた石畳をたどって歩くと、玄関へ着いた。

 目立たないたたずまいであったが、小さな料亭のようだ。

「おこしやす」店の者が迎える。「お客はんお待ちかねどすえ。ささ、こちらへ」

 案内されるままに奥の間へ入る。

 伊東甲子太郎は、そこに居た。

 一人だった。

「これは、成瀬先生」

 二人を待つように、膳の前に座していた。

 

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