からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜」
その25
「成瀬先生、先日は不調法を致しました」
挨拶もそこそこに伊東甲子太郎がしたことは、正二郎への謝罪だった。
座ったまま、深く頭を下げた。
つられて、正二郎も礼を返す。
「いや、気になされんでください」
角屋での、アンジェリーナへの一件か。云ってから、思った。
それより、山南の話がしたかった。
「加納君も反省しています」伊東は続けた。「いたずらに西洋を拒絶するのが攘夷ではない。優れた点は学び、取り込まなければならない……僕も、常から説いているのですが」
僕、という一人称が自然に出、そして、それに違和感がない。
弁舌が巧みな男という評判通り、よどみのない話しぶりだった。
「いやいや、気にされる程のことではないですから」正二郎は繰り返す。
「かたじけない」伊東はもう一度、頭を下げた。「奥方にもよしなにお伝えください」
「は、はあ……」
自分でも、間の抜けた返答だと思った。
原田左之助あたりから聞かされて思い描いていた姿とはほど遠い、その態度に少なからず混乱しているからだろう。
「では正二先生、まず一献……」
と、藤堂が云いかけたところへ、
「藤堂君、山南君の話をしよう」
頭を上げた伊東が、静かに切り出した。「そのために、今宵おいで願ったのだから」
「伊東先生っ?」藤堂が顔を向けた。
「このままでは酒も料理も咽喉を通るまい」伊東は平然と応えた。「成瀬先生は、まわりくどいのはお好きでなかろう」
それから彼は、正二郎に顔を向ける。
云うとおりだった。
彼は自分を……成瀬正二郎を研究し、それに合った態度で接している。
正二郎は、生唾を呑み込んだ。
「近藤先生は今宵、誰も通さぬよう申し渡して居室に籠もられました」
伊東が云う。「お訪ねになることは出来ません」
正二郎が、近藤を説得しようとしているのさえ、見抜いていた。
彼は続けた。「あの人も、苦しんでおられるのでしょう」
「江戸以来の同志、ですからな」正二郎は応えた。
云ってから、藤堂を見る。
彼も無言だった。
「それでは、私に何をしろと」
正二郎は、伊東の瞳に眼をやった。
伊東甲子太郎は、まっすぐ、彼を見つめ返した。
そして、云った。「成瀬先生には、会津中将にお働きかけいただきたい」
「会津……松平様に?」
伊東に反問した正二郎の呟きは、
「そうか!」
と、膝を叩いた藤堂の声にかき消された。
「さすが伊東先生、その手がありましたか!」
彼は、強くうなずきながら、何度も、何度も膝を打ち鳴らした。
会津藩藩主、松平容保。
京都守護職にして、新選組を預かる立場にある。
「先生は、会津公と直接に話もできるそうですね」
「そこまでご存じか……」
つい、言葉にしてしまった。
伊東の表情は変わらない。
穏やかに、まっすぐ、正二郎を見据えていた。
正二郎は、医者であると同時に、からくり師の顔を持つ。
在京の大名や宮中の公家が持つ時計の修理や整備のため、彼らの屋敷へ出入りする。
東山近くの黒谷、金戒光明寺に本陣を置く会津藩も、例外でなかった。
容保本人とさえ、親しく言葉を交わしたことがある。
若いが明晰な殿様である。
正二郎は、彼が語るからくりや洋学の談義に向けるひたむきな、少年のような眼差しを思い浮かべた。
そのくせ、どの藩主も尻込みしたという京都守護職を、率先して引き受けた果断さを持つ。
もし、正二郎が会津藩を通じて、山南敬助の助命を申し出れば……。
「だが、それをなぜ私を?」彼は訊ねた。
「会津藩への申し入れなら、あなた方が用人に訴えれば……」
「僕達が動けば新選組の内紛になってしまいます」
伊東は明快に応えた。
藤堂らの話を思い出した。
山南切腹の裁定は、幹部の合議で決まっている。
それを、伊東自身によって覆すことはできまい。
「それができるのは、隊から離れた立場にいて、しかも会津に伝手のある方でなければなりません」
正二郎は応えなかった。
この男は、策士だ。
それだけを、思い起こす。
「それが最善かどうか、僕にも判りません」
「お願いします」
不意に、伊東が頭を下げた。
「正二先生、お願いします!」隣に並んだ藤堂も、それに習う。
「二人とも……」
いいあぐねて、正二郎は眼を伏せた。
京の街の夜。
沈黙の時が、ただ、過ぎてゆく。