からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜」
その27
《束信》は、知る人ぞ知るという料亭だった。
島原や祇園のような華々しさと無縁の、門前町の裏通りにまぎれるように建つ店だが、むしろ、その静けさが好まれている。
根菜を仕立てた料理の評判がいい、と正二郎は伊東から聞いた。
運ばれたものに舌鼓を打って、彼は納得した。
薄味に仕立てられた、里芋の煮付けを口に運ぶ。
伊東も藤堂も、正二郎が飲めないことを知っていて、だから、無理に勧めはしない。
幕末の京都から切り離されたような感覚に、正二郎は陥っていた。
その、彼の思いを知るや知らずか、伊東が話を続けている。
弁が立つとの評判のとおり、彼は静やかに、しかし途切れることなく語る。
しかも、一方的に続けはせず、折に正二郎や藤堂に話を向ける。
時に、笑い声も洩れる。
知的な、調和のとれた時間。
興味の赴くまま、話の流れは様々に向きを変える。
見浦流の話、
北辰一刀流の話、
長崎の話、
江戸の話。
……山南の話題は、もう出ない。
「しかし、私はやはり武骨なだけの男です」
ふと思いついたように伊東が話を替えた。「西洋諸国と戦端が開かれたとき、あの傀儡はどれだけ戦力になるか、そんなことばかり考えてました」
《あるるかん》の事か。
「藤堂君、君もそう思うだろう」
「いい足捌きでした」
藤堂が口を開いた。
すぐに、言葉を繋げる。「あれが人間なら相当の遣い手ですよ」
明るい声だった。
いや、
後に思えば、無理に明るさを装った、そういう声だった。
「いや、あれは只のおもちゃです」
正二郎は微笑し、手を振った。「あのとおり、舞をさせるしか役に立ちません」
「そんなことはありますまい」伊東が微笑した。「僕の見たところ、あれは立派な兵器と思いますが」
藤堂が驚いた。「兵器? あれが、ですか?」
「僕の目に狂いがなければ、だがね」
伊東はうなずいた。
藤堂に語りかけてはいるが、彼の瞳は、正二郎の眼を見据えていた。
真っ直ぐに。
「あれは、何かと闘うために造られたのではないでしょうか」
正二郎の唇が、わずかに動いた。
自動人形。
喉元にこみ上げた単語を、彼は抑えつけた。
だが。
荒唐無稽に聞こえる《しろがね》と《自動人形》の争闘の歴史も、この男なら理解するかもしれない。
脳裏をよぎった考えを打ち消して、正二郎は視線を逸らした。
「……まあ、僕の思い過ごしかもしれない」
それ以上、伊東は問を重ねなかった。
「そうですな」と、正二郎は言葉を返した。
伊東の表情を見た。
穏やかな微笑が、そこにある。
彼が何を思うのか、正二郎には読めなかった。
「正二先生」
藤堂が、小さく名を呼んだ。
正二郎は顔を向け、彼を見た。
だが、
藤堂はすぐには応えず、横顔のままで盃に酒を注ぎ、口元へ運んだ。
一息に、あおる。
空になった猪口を膝に置き、しばらく掌でもてあそんでいた。
その間、彼は言葉を発さない。
「どうしたのかね、藤堂君」正二郎が声を掛けた。
藤堂は眼を伏せたまま、しばらく指先で猪口をいじっていたが、やがて、云った。
「正二先生、あなたは何故誤魔化すのですか」
酔って、いる、のか。
「いや、私は……」正二郎がその顔を覗き込もうとしたとき、
「私はかねがね疑問でした」
はっきりと、問いかけた。
「先生ほどの才気と技倆がありながら、どうして今の世にそれを活かそうとなされないのですか」
短い、間。
「藤堂君」伊東の声が沈黙を破った。
「それは買いかぶりだよ」正二郎が続けて応えた。「このとおり私はただの町医者だ」
「本当に、それで満足なのですか」
盃を膳上に伏せて置き、藤堂は、正二郎を見た。
ついで膝を向け、そして、体全体を向ける。
正二郎に正対すると、彼は問いかけた。
「あなたは町医者などで終わっていいと、本気で思っておられるのですか」
「いや、それは……」
「藤堂君」伊東がもう一度、呼んだ。「もう止したまえ」
しかし、藤堂は止めなかった。
酒のせいか、それとも場の雰囲気によるのか。
訥々と、彼は話し続ける。「あなたは……いや、あなただけじゃない、奥さんもです」
……アンジェリーナも?
そう訊き返そうと、した、とき。
「あなた方から漂う剣気、いや、修羅の気は隠せません」
「!」
正二郎は言葉を呑み、ただ、彼の眼を見た。
ひたむきな瞳であった。
真っ直ぐな瞳であった。
「同志になってくれ、とは申しません」藤堂はなおも続けた。
「我等が敵に回るなら、それだっていい。日の本が……この国が大きく姿を変えようとしているこの時勢に、己の才を世に活かさぬは卑」
そこで、わずかに躊躇した。
言葉が、熱を帯びていた。
が、続けた。「……敢えて申し上げます。先生ほどの才幹がありながら、時代に背を向け、安穏としておられるのは、卑怯な振る舞いです」
京の街の夜が、更けてゆく。
「応えてください先生、あなたはこのまま町医者として埋もれる気ですか」
「……藤堂君、私は……」
そう、正二郎が云いかけた、とき。
「藤堂君、もういいだろう」
割り込んだ伊東の声は、先刻までのそれと比べ、わずかに低い。
「ですが伊東先生」
「君は酔っている」
伊東は、眼だけを動かし、藤堂を一瞥した。
目許にこそ、優しい微笑を湛えてこそいたが。
「っ……」その眼に気がつき、藤堂は絶句した。
伊東は、さらに、続けた。「酒が、云うべきでないことを云わせている」
それから彼は正二郎に顔を向け、こう云った。
「成瀬先生には、先生の生き方があるのだよ」
正二郎は、応えなかった。
伊東も、応えを求めてはいなかった。
「今、茶を運ばせよう」
まるで、その場を取り繕いでもするかのように、彼は手を叩いた。