からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その33 

 

 前川邸は、壬生の郷士屋敷でもひときわ目立った、武家の住まいに相応しい大きさと造りとを有している。

 それゆえに土方歳三に目をつけられ、新選組屯所として借り受けられたと聞く。

 坊城通の辻に面しているのは、長屋門と呼ばれる、左右に出窓を持つ大門。

 今、そこに立つ二人の番士が、異様な装いの彼女を見咎め、窺っていた。

 が、っていた。

 花魁姿のアンジェリーナは迷いもせず、門へと歩みを進める。

 正二郎は少し躊躇いながら、彼女を追い越した。

 通りに面した塀を越え、壁を破って侵入することも考えていた。

 しかし、やはり、門をくぐった方が礼に叶うだろうか。

 ……これから、屯所に討ち入りをかけるのに?

 黙ってアンジェリーナの先を行きながら、そんな思いが彼をかすめた。

「待てっ!」

 番士が、だんだら模様の羽織をひるがえして近づき、彼らが行くのを塞いだ。

「何だ、お前たちは」と一人が誰何した。

 もう一人の隊士に見覚えがあった。

「やあ、野村君」正二郎は声を掛けた。

「……ああ、島原の先生じゃないですか
野村と呼ばれた、もう一人の方の男が応える。「朝からどうしたんです。何か、御用ですか」

「ああ、それがだなぁ……」

 応えかけた正二の背後で、アンジェリーナが冷たい声を発した。

「身請けに参りました」

「……えっ……?」

 番士たちが、たじろぐ。

「こちらにおわしまする、山南敬助様を身請けに参りました」

 アンジェリーナは無表情だった。

 瞳が発する光が、冷たい。

「……なんだ先生、冗談はよしてくださいよ」

 野村が彼女から眼を逸らし、あたかも助けを求めるように、見知った正二郎に笑いかけた。

「すまんが、冗談は苦手でね」正二がつぶやいた。「山南さんを、このまま死なせたくないんだよ」

 番士たちは、互いに顔を見合わせた。

 お通りください。とはまさか、云えまい。

「先生」野村が向き直った。「……どうか、どうかこのままお帰りください」

「やっぱりね、そう云うと思ってたよ」正二が応えて、続けた。「腕ずくでも通る、と云ったら?」

 もう、彼らは応えなかった。

 間合いを取り、それぞれ腰の刀に手をかける。

 アンジェリーナが、ゆっくり打掛を脱ぎ捨てた。

 キリ、キリ、キリキリキリ。

 その場で、高下駄も脱いだ。

 キリ、キリ、キリキリキリ。

 袖口からのぞかせた指先に、

 キリ、キリ、キリキリキリ。

 ……いつの間にか、指抜きが嵌められていた。

 指抜きに繋がれた幾本もの糸が、正二の背負った葛籠に延びている。

「アンジェリーナ、あまり怪我をさせんでくれ」

「やってみるわ」

 刹那、

 葛籠が開いた。

 黒
 い
 影
 が
 垂
 直
 に
 躍
 り
 出
 た
 か
 と
 思
 う
 と、跳躍し、立ちふさがる番士の前に着地した。

「ひえっ……」

「ぐっ!」

 何が起こったかも、わからなかっただろう。

 鳩尾に当て身を喰らい、二人は瞬時に崩折れた。

 身長は一丈(約三メートル)に近い。

 黒衣をまとい、羽根飾りで覆われた頭部に無表情の仮面。

 マリオネット《あるるかん》は、関節を軋ませながら両腕を前にかざした。

 その足元で、倒れた隊士がうめき声を上げている。

見事だねぇ」正二が感嘆する。

「さあ、行きましょう」

 応えたときにはすでに、アンジェリーナは、長屋門から邸内へと歩き始めていた。

 

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