からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その35 

 

「何をしてるか!」

 長銃を構えた隊士に、幹部らしき男の叱責が飛ぶ。「鉄砲は駄目だっ、味方に当たるぞ」

 云ってから男は、苦々しげに《あるるかん》に目を戻した。

 新選組にも、幕府や会津藩から下げ渡された銃がある。

 これを使うには、押し寄せた隊士を一度退げなくてはならない。

「ええい、これでは身動きがとれん」

 思わず、口にした。

「無理だよ、松原さん」隣の、これも幹部とおぼしき男が、意思を読んだかのように、続けた。「ここで退いたら隊規違反で切腹だ」

「まさか」

「まさかったって、土方さんが許すもんか」淡々とした口調だった。「みんな、そう思っとるよ」

「くっ……!」

 








 

 本拠地たる屯所を襲撃され、応戦しなかったとあればそれは怯懦、士道不覚悟である。

 ……山南敬助さえ、処断される……。

 そんな恐怖心が、隊士達の眼を曇らせているのだろう。

 話す間にも、玄関から続々と彼らの脇を通って、中庭の《あるるかん》に殺到する。

「出るな! 出るんじゃない!」松原と呼ばれた男が叫ぶ。

 長屋門からも、隣の八木邸に詰めていた隊士が押し寄せている。

 狭い前庭にひしめき、互いに、人波の中で身動きがとれぬ。

 包囲した隊士を、アンジェリーナは一瞥した。

 怪我は、させたくなかった。

 掌の糸を軽く握る。

 そうすると、《あるるかん》が腰をかがめる。

 そして、云った。「あなた、飛ぶわ」

「よしっ」

 正二郎はアンジェリーナの両肩に手を掛けた。

 アンジェリーナが糸を引いた。

《あるるかん》が、跳躍する。

 その体が空中に達したとき、彼女は手首を引き寄せ、さらに糸を引く。

《あるるかん》の体が、アンジェリーナにつながる繰り糸を巻き取る。

 その張力が、彼女と、正二郎を吊り揚げる。

 タイミングを合わせて、正二郎が地を蹴った。

 二人の体が、飛んだ。

「おっ」隊士らが、頭上を越え行く二人を目で追った。

《あるるかん》は、悠然と宙を舞う。

 着地した。

 裏庭だろうか。

 潜り戸を閉じ、戸締まりを掛けながら、正二郎は記憶をたぐった。

 いま越えた土塀を背に左手が米蔵、そして右手が、屋敷に続く勝手口である。

 討手が長屋門と前庭に集中したため、こちらは無人だった。

 否。

 一人、いた。

 正二郎が顔を上げる。

《あるるかん》を構えさせ、アンジェリーナが顔を向ける。

 背後から、足音とざわめきが聞こえる。

「戸を破れ!」

「乗り越えるぞっ、肩を貸せ!」

「奥へ戻れ、回り込め!」

 その、喧騒ぶりから切り離されたような、異質とさえ云える落ち着きをもって、

 彼らの前に、ただ一人、藤堂平助が佇んでいた。

 正二郎と、一瞬、眼が合った。

「……正二先生っ……!」

 一言だけ、云った。

 言葉が途切れ、彼は、唇を噛みしめた。

 それ以上は、続かない。

 熱い何かが、胸を、咽喉を、埋め尽くす。

 額の刀傷が、眉根とともに、ぎゅっと歪む。

 すぐさま、藤堂は踵を返し、右手の勝手口へ走り出した。「こっちです!」

 正二郎らは彼に導かれ、右へ駆ける。

 

【次の章を読む】 【目次に戻る】   【メニューに戻る】