からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その38 

 

 

《あるるかん》の両脚が、地を蹴って、駆ける。

 の巨体が、体を前傾させて、走る。

 その先に、土方と、原田と、そして藤堂。

 土方に向かっていた藤堂が、気配を感じて振り返った。

 顔色一つ変わらなかったのは、《あるるかん》が自分を襲うと予想できなかったからだろうか。

 急速に伸びてきた《あるるかん》の左上膊部が、藤堂のこめかみを打った。

 突如、世界が傾いだ。藤堂は、そう思った。

 脳に受けた衝撃で、体が平衡を失う。

「……えっ?……」

 アンジェリーナの姿を追った。

 思考が乱れるままに、

 ……なぜ……と、思った。

「平助!」

 倒れる藤堂の名を呼びながら原田は、続けざま己を襲う《あるるかん》を躱す。

 身をよじり、槍を支えて第二撃に備える。

《あるるかん》が脚を止め、再び自分を狙う。そう読んだ。

 だが、

《あるるかん》は彼を一顧だにせず、その脇を駆け抜けた。

 黒い巨体の背を見送るかたちとなって原田は、《あるるかん》が目的とする先を、見た。

「土方さん!」

 気づいて、その名を呼ぶのと、

 アンジェリーナが、
それへと腕を振り

掌を向けるのは同時であった。

 彼女の白く細い指先から伸びた、夥しい繰り糸が、一瞬に緊張する。

(初太刀で、急所を突くか)

 原田は思った。

《あるるかん》は、最初の一撃で土方を倒すべく、突進した。

 藤堂も原田も、その直線上における立ち位置の微妙な違いによって、なぎ倒され、すり抜けられたに過ぎない。

 そして、今。

《あるるかん》が、跳躍した。

 蒼白い、
 無表情の仮面の視線が、
 土方に向けられる。

 土方は、動かない。

 刀を抜こうとさえ、しない。

 ただ、その眼を、宙を迫りくる《あるるかん》にではなく、アンジェリーナに向けた。

「!」

 彼女が手首を返したのは直感的な反応だった、と云えよう。

《あるるかん》の上体が大きくしなる。

 自らの体の反動によって軌道を変えたかと思うと、天井の一角を蹴り、その勢いで後ろ飛びに跳ね、退く。

 を握ったまま呆然とする原田と、
 喪神して倒れ伏した藤堂の頭上を飛び越え、
 彼らの背後に着地した。

 

「どうした、アンジェリーナ」

 なんで《あるるかん》を……と云いかけ、

 正二郎は、土方とまともに眼が合った。

 燃える炎を連想させる瞳だった。

 そして、理解した。

 あのまま土方の前に出ていたら、

抜き打ちで《あるるかん》は両断されたかもしれない。

 そんなはずはない。

 ただの人間に、懸糸傀儡を倒せるはずがない。
《しろがね》の冷静な思考がそう反論する。

 だが、彼の前に立つ土方から、理性を超越した気が放たれた。

 ともかく、《あるるかん》は退いた。

 

「先生」

 口を開いたのは原田だった。

「奥さん」

 続けて呼んでから、原田は、《あるるかん》へ穂先を突き構えた。

 槍先に集中しろ、左之助。

 あの、一撃。

《あるるかん》の疾駆を、跳躍を許し、藤堂を倒された。

 次は、防ぐ。

 闘志が、全てをかき消した。

 視野の端に、担ぎ運び出される藤堂の姿が見えた。

 あの、一撃。

《あるるかん》の打撃を受ける前、藤堂は、土方に向かって鯉口を切っていた。

 抜いてしまえば、処断は免れなかったろう。

 刀身を抜く前に、アンジェリーナは真っ先に打ち倒した。

 あるいは、彼女は、藤堂を守るために……。

 ……考えても、答えは出ない。

 だから、もう、迷わない。

 彼は槍を大きく一旋すると、云った。

「さぁ、来な」

 

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