からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜」
その43
相手が一人減り、優位に立ったと思う意識が、隙を生んだ。
「あなたっ!」アンジェリーナが叫ぶ。
「先生ッ!」
彼女に続いて声を上げたのは、《あるるかん》に立ち向かう原田だった。
斎藤は、正二郎の左肩から刀を引き剥がし、すばやく間合いを取り直した。
正二郎は、倒れなかった。半歩退いて態勢を直す。
……両掌で、刀が持てない。
左腕を垂れ下げ、正二郎は片手で構えた。
切り裂かれた着物に血が滲んでゆく。
鎖骨と肋骨数本、左腕に連繋する腱と神経と筋肉が切断されている。
だが、内臓は無事だ。
斬り込まれると思った瞬間、踏み込んで間合いを縮めたことが奏功し、斬撃の威力を殺いだ。
さもなくば、彼の体は肩口から両断されていただろう。
「大丈夫だ!」そう、正二郎は叫んだ。「すぐに治る」
時を置けば、彼の体に流れる《生命の水》が傷を塞ぎ、骨を繋げるだろう。
「なかなかやるね」
斎藤が静かに云った。
骨を断たれ血を流しなお倒れぬ正二郎の、人間離れした生命力を目の当たりにしても、松原のように驚愕も激昂もしなかった。
軽く息をついて剣先をわずかに起こすと、彼は向き合ったままで、
「おーい、土方君」と、後ろを呼んだ。「私も退げてくれ。足を痛めたようだ」
「足?」沖田が呟く。
その視線が、斎藤の足元に注がれた。
「ああ、足だ」彼は続けた。「退がるよ。いいね」
応える土方は、応えるかわりに指示で返した。
「篠原君」
いきなり名を呼ばれ、篠原は身を震わせた。
土方歳三の顔は、確かに、彼が身を潜めている植え込みに向いていた。
「ほら、出番ですぜ」傍らにいる山崎が口を出した。「頑張ってきなせぇよ」
彼は無言で立ち上がった。
「おっと」
声がしたかと思うと、山崎の手が懐に伸びた。
「こりゃ邪魔でしょう。あたしがお預かりしときやすね」
気づいたときには、もう拳銃は引き抜かれていた。
「がんばってきなせぇよ、北辰一刀流の見せ所です!」
山崎の声に押されでもするように、彼は、正二郎らの背後に位置した。
原田が足を進めた。
松原を倒すため退却した《あるるかん》に向かう。
肩を斬られた正二郎が、篠原に正対した。
背後で、アンジェリーナが構える。
入れ違うように、斎藤が縁側に上がった。
「やりましたね、斎藤先生」沖田が声をかけた。
「いや」抑揚のない口調で斎藤は応えた。「やられたよ」
それから彼は、沖田が問いかけるより先に、手にしたままの抜き身の刀をかざして見せた。
そして、云った。「私では、峰打ちのつもりだったんだ」
無意識に、刃を対手に向けていた。
いつの間にか、相手に恐怖を感じていた。
「……そういうことさ」
斎藤は、それだけを口に出した。
「そういうことですか」素っ気なく沖田は応えた。
「たいした連中だよ」斎藤が続ける。
傍に立つ土方に聞こえるように、声を高くして。
だが、土方の横顔は動かなかった。