からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その47 

 

 

「それまで!」

 太い声だった。

 それが、仄暗い前川邸の奥から、彼らが闘う庭先まで響きわたった。

 声の方に、その場にいる者の注目が、自然に集まる。

 奥の間の襖。

 それが、開いた。

 暗い土間の、かすかに射し込む日の中へ、近藤勇が姿を見せた。

 残響に、空気が震えていた。

 その場にいた隊士の誰もが、百戦錬磨の猛者たちが、その気合いに硬直した。

 正二郎さえ、刀を止めた。

「近藤局長」

 声とともに、伊東甲子太郎が歩き出した。

 人混みを抜け出し、建物に上がる。

 正二郎と、山崎丞。二人の眉根が、幽かに歪んだ。

 しかし伊東は、何をすることもなく、近藤の傍らに立つだけであった。

 土間の手前まで歩くと、近藤は初めてあたりを見た。

 そして、

「や、あやかし太夫ではないか」

 アンジェリーナの姿に目を留めた。

「これは近藤先生、しばらくでありんすなぁ

 両腕は、まだ折れたままだ。

 髪はとうに解け、乱れたままの裾先が、土に汚れている。

 だが、彼女の花魁言葉、その声には張りがあった。

 眼も、まだ死んでいない。

嬉しいな。下拙が恋しくてわざわざ、屯所まで逢瀬に来てくれたとはな」

 アンジェリーナの、両肩から立ちのぼる熱気が白く湯気を描いている。

 上気した頬が、ひときわ艶めかしさを際だたせていた。

「……冗談だ」

 と、近藤は云った。

 そして今度は、正二郎に目を向ける。「怪我がひどいですな、正二先生」

「いいえ」正二郎はそう応えた。

 怪我のことを否定したのでは、ない。

「今の私たちは」息が乱れ、自然、間が生じた。「《あやかし太夫》とその付き人です」

「なるほど」

 近藤の目元が笑う。

「新選組が恩義ある正二先生とその奥方してではないな。島原の一住人として……」

 間を置いたのは、脳裏に言葉をめぐらせたからだろう。そう思えた。

「……ただの男女として、山南君を助けに来た。そういうわけですか」

 正二郎は顔を上げた。

 近藤の表情はあくまで柔らかい。

「しかし、遅かったですな」

 そう、云った。

「近藤さ……いや局長」原田が訊く。「それはいったい」

皆にも報せ置く

近藤は、周囲の隊士たちに聞こえるように、少し声を上げて云った。「新選組総長山南敬助、本日ただ今、見事に割腹し相果てた」

「っ……!」

 空気が、生き物のように動いた。

 正二郎は、肩を落とした。

 いや、

 脱力感は、その場にいた者の多くに伝搬している。

「そんな……山南さんが……」

 藤堂平助。

 数歩よろめく藤堂の声は、かすかに震えていた。

 斎藤の、正二郎に向けられた剣先が、かすかに下がった。

 沖田は既に刀を収めている。

 そして、何を見るというでもなく、勝手口の外の庭の片隅に目を落とした。

 ただ、土方だけが動じない。

 口元を結び、鋭い視線を正二郎たちに浴びせていた。

 

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