からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その54 

 

 

「山南さん、君こそ判ってないじゃないか」

 皆の視線が、発言の主に集まった。

「私が……いや、私とアンジェリーナが」正二郎は眦を山南に向け、自らの言葉を続けて云った。「私とアンジェリーナが屯所に行ったのは、明里のためだ」

「明里?」山南が訊ねた。

「ああ、他の誰のためでもない」

 正二郎は言い切った。

「あの妓が自分の心を見つめたとき、その奥底には……君がいたんだよ。我々はただ、君の名を呼びながら流す彼女の涙を止めたかったんだ」

「そうだよ、山南さん! 明里だってよぉ」

「しかし……」

「山南様」続けたのはアンジェリーナだった。「あなたも、あなたの心の奥底を、あなたの心だけを見つめてください」

「そうだよな、奥さん!」原田が力強く、うなずいた。

「山南さん、あんたは難しく考え過ぎんだよ」藤堂も云う。

「理屈好みに云われちゃ世話ねぇな」

「混ぜっ返すな、左之」

「すまない、皆」山南が口を開いた。「しかし、私にはもう……」

「ああっ……ったく、じれってぇな!」

 原田が叫ぶように云う。

「それがいけねぇんだ、あんた、あれこれ考えねぇで……ほら、奥さんだって云っただろ」まくし立てるように云った。「ほらあれだ、何だ……なぁ、平助よぉ?」

「自分の心を見つめろってよ」藤堂が続けた。

「そおだよ、それだっ! えぇ? あんたが何をしたいか、それを考えてくれ! 理屈じゃねぇんだ、相手がどうとかそんなのどうだっていい! だから……だからよ!

 もう、自分でも何を云ってるかわからない。

「山南さん、左之さんが珍しく脳味噌絞ってるんだ。察してやってくれ」

「だーっ、うるせぇぞ平助!」

 

「三月二十日あまりのほどになむ」

 小さな声だった。

 だが、その声は、まるで喧騒のわずかな隙間を抜け出たように、響いた。

 山南は、己の呟きに続けた。「……都を離れたまひけむ」

「おい山南さん、どうしちまったんだ、今は二月だぜ」

「いいえ、原田様……」

「あいつは、源氏物語を読んでくれました」

 アンジェリーナが否定すると同時に、山南は小さな声で、まるで独白のように言葉をつないだ。

第十二帖『須磨』でございますね」アンジェリーナが云った。

 山南がゆっくりうなずいた。

 少し間をおいて、彼は続けた。

「この本を読む今だけは、難しいことは忘れてくれ、ただの山南敬助になってくれ、そう云ってくれました」

 雲が動いたか、わずかに光が差した。

「ほら、そうだろ!」原田が声を上げ、山南の両肩を掴む。「あんたの心にゃ、まだ明里がいるじゃねぇか!」

「しかし、私にはもう……」

理屈はいいんだよ! だから、あんたの心ン中に……」

 そこで、言葉につまった。

「……あんたの、心にゃあ……」もう一度、云った。

 先が、続かなかった。

 続けられなかった。

 目を見開いて、立ち止まった。

「どうしたかね、原田君」正二郎が訊いた。

「……ほ、ほら……」

 原田の唇から言葉が洩れた。

 そして、指さして云った。「ほら、あれだろ、あれじゃねぇのか!」

 皆が、その先を見た。

 前川邸の外郭は坊城通に面している。

 そこの、塀が出窓になっている部分に、

 女が、立っていた。

 目を細め、小首をかしげて、彼らを……いや、

 彼らの中にいる山南を、見つめていた。

「……明里……?」

 山南が小さな声で、云った。

「明里さん……」アンジェリーナが続いた。「どうして、壬生へ……?」

 

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