からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜

 

 その55 

 

「いいじゃねぇかよ、何だって!」
原田が叫んだ。

「ほら、山南さん」藤堂が急かすように声を掛けた。

 山南はまだ、踏み切れないように立っている。

 いきなり、その背中が押された。

 原田だった。

「は、原田く……」

「いいってことよ!」

 その隣で、藤堂が微笑している。「あばよ、山南さん」

自由に、自由に生きてくれよ!」原田が叫んだ。

 よろめきながら、山南は、明里の前に歩み寄った。

 それで、充分だった。

「明里!」

「山南せんせぇ……」

 明里の言葉は途切れ、宙に融けるように、消え入った。

 二人の姿が、一つに重なり合う。

「せんせぇ、うち……」

「……明里……」

 ただ、名を呼び合う。

 それだけでいい。他には何もいらなかった。

 ただ、

 寄り添う直前、その口から

(ありがとう)

 という言葉が発されたのか。

 正二郎は思わず目をそらし、そのまま、あたりを見回した。

 通りの向かいに、壬生寺の山門があった。

 その陰で、目立たないように、永倉新八がいた。

 悪さをして叱られ、ふて腐れた子供のように、彼はそっぽを向いていた。

「新八っつぁん!」藤堂も見つけたようだ。「あんたが、明里を……?」

「このくらいしか出来ねぇからな」

 独り言のように、永倉が云った。

 云った後で、

(けど、どうして……)

 といいたげな表情を浮かべた。

「話せば長くなるがな」と、藤堂。「とりあえず、山南敬助は死んだんだよ」

 理解ができないようだったが、
永倉は顔を、なおも山南たちからそむけるように、空を漂う雲に向けた。

 そのさまを見て、正二郎はなんとなく、

 永倉君……。

 君は、もしかして、明里を……?

 そう思いかけて、やめた。

 そんなことを口に出したら、また妻に呆れられるかもしれない。

 すでにみんな気づいていることなのかもしれない。

 だから、やめた。

 二人の会話を聞きながら、正二郎はアンジェリーナを見た。

 アンジェリーナも、正二郎を見ていた。

 彼の掌が、そっと、彼女の体に触れた。

 節分こそ過ぎたがまだ肌寒い二月であった。

「おーい」

 足音と共に声がした。

 見ると、坊城通の南から、井上源三郎が走ってきた。

 井上は彼らに気づくと、手にした木刀を振りかざした。

「正二先生、わしも……わしも覚悟を決めましたぞ!」

 その後ろに、《香月や》と初瀬もいた。

 走る二人の手には、竹箒が握られていた。

 口々に叫び始める声が耳に届く。

「正二センセ、水くさいわぁ、うち、うちらも……!」

行くで初瀬、今から新選組といくさや! いくさやで!」

 正二郎は慌てて駆け出した。「お、おい、お前たち……!」

 ざざっ。

 足音が響く。

 春は、もうすぐそこまで近づいているだろう。

 

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