からくりサーカスオリジナルストーリー
「島原傀儡舞〜元治二年・払暁〜」
その57
「そんな事もあったかな」
「やだねぇ先生は……まさか、あれだけ暴れたの忘れちまったんじゃねぇでしょうね」
慶応四年四月、江戸。
実は、慶応四年という年もまた、存在しない。
この年が明治と改元されるのはまだ数ヶ月先のことであった。
そこは、もとは旗本屋敷だった。
江戸開城の混乱の中で正二郎が譲り受け、今は自宅兼研究室兼仮店舗として使っている。
その一室で、原田左之助は笑っていた。
彼に正対して、正二郎は云った。「まぁ……忘れはせんよ」
元治二年二月二十三日、払暁。
あれから三年。
正二郎は江戸に移り、この家に落ち着いていた。
そこへ今日、ひょっこり原田が尋ねてきた。
どこから手に入れたのか、手土産として持参した鶏卵を手渡すと、この客間で正二郎と二人、思い出話を咲かせている。
「新選組が京にある間、後にも先にも屯所に押し入られたのは、あれきりなんですよ。正二先生」原田は続けた。「……ったく、たいしたご夫婦ですよ」
「そうかね」と云いながらも、正二はうなずく。
「話しましたっけ。あの後が大変だったんですよ」原田が笑った。「ほらあの時、俺が先生たちの前に立ち塞がったでしょ。それをあいつが知っちまって、エライ剣幕になったんですよ」
「……あいつ……?」
正二郎は、初瀬の勝気な表情を思い浮かべた。
一女をなしたという彼女は芸妓を辞め、おそらく今も、京にいるのだろう。
元気にしているだろうか。
「『あんたの所為やの』」話に熱がこもり、原田は京女風の口調になった。「『正二センセとアンズ姐はんがあないお怪我されたんも、皆あんたの所為やったんか!』ってねぇ。
竹箒で追い回されて、
あげく『あんたなんか、もぉ島原出入り禁止やで!』ですよ
……あっ、そうか」
そこで、気がついた。
「ご存じでしたっけ。そういや、先生らに取りなしてもらったんすよね!」
「驚いたよ、悲鳴上げてうちに飛び込んできたからね」正二郎が云った。
「平助の野郎ですよ。あいつがいけねぇや」原田が唇を歪めた。「あいつが面白おかしく喋っちまったんですよ!……ったく、あんにゃろ……」
ふと、口をつぐんだ。
そして、続けた。「平助か……」
藤堂平助は死んだ。
伊東甲子太郎ら一党と共に、分派という形で新選組を抜けた。
『御陵衛士』を名乗り薩摩に接近した末、新選組との抗争で斬られた。
伊東もまた、この世にない。
正二郎たちが京を去った直後の出来事という。
何かを思っているのか、原田は黙った。
そこへ、障子が開かれた。
「お久しぶりです、原田様」
「やぁ奥さん!」目をやって、原田が歓声を上げた。「あいかわらずお綺麗ですね」
「まあ」と、アンジェリーナはくすくす笑う。
「あっ、いいな……その笑顔がねぇ……」
独り言のようにそう云って、原田は、茶を淹れる彼女の顔を見つめていた。
「ねえ奥さん、覚えてます?」そして、云った。「局長が……近藤先生が身請けしようとしたこと」
「ええ」彼女はうなずいた。
そして、原田に煎茶を差し出した。「女冥利につきますわね」
「実はね、あの後もそうとうご執心だったんですよ」一口啜って、原田は続けた。「あん時、屯所に乗り込んできた奥さん、その……綺麗でしたからねぇ……」
そこで一度彼は口をつぐみ、ため息をつく。
そして、云った。「正二先生なんかにゃ勿体ないですよ、本当に」
「『なんか』とは失礼だな、原田君」
「あはははは」
原田は笑い出した。
「ははははははは」
原田は、しばらく笑い続けた。
「ははははははははは」
正二郎とアンジェリーナは、言葉もなく彼を見ていた。